テロと戦うということ

今日の記事は、特に自称平和主義者の方に読んで欲しい。


太田総理を見たら、爆笑問題の太田が「自分がもし総理大臣だったらテロとは戦いません」とか言ってたので、うーん、と考えてしまった。
テレビの前で、いろんなこと考えた。


というわけで、今回のテーマは

「テロと戦うということ」


記憶と頼りに要約すると、太田総理大臣の主張は以下みたいな感じらしい。
アメリカは、自分らを善でテロリストを悪とか決めつけてるけどさ、そんなのアメリカだけの都合じゃん。
テロリストにはテロリストなりの言い分と正義があるわけよ。
自分らで自分らのことを民主的とか、正義とか言ってるのが気持ち悪くてしょうがない。
大東亜戦争だってそうじゃん。ブッシュ大統領はよく9.11をパールハーバーに例えてるけどさ、
実際アメリカが日本にしたこととイラクにしたことは同じ(圧倒的な軍事力で叩きのめして、前の政権はひどかったね〜、はい、民主主義ですよ〜ってやりかた)なんだけどさ、日本には日本の、イラクにはイラクの言い分があったわけじゃん。
テロとの戦いに参戦するってことはさ、日本人としてさ、あの戦争が日本が一方的に悪かったとか、そういうこと言っちゃうことなんだよ?
そんなこと言えるわけないじゃん。
俺だって、空爆で家族とか殺されたら、テロリストにならないかなんてわかんないよ。
だから、アフガンで空爆で死んだ人たちを悪だとか、そんな単純で無神経な断罪なんて到底できないよ。」


まあこんな感じ。たぶん。
とりあえず太田総理はとっても見直しました。
憲法九条を世界遺産に」とかゆう本を確か書いてたから、
大東亜戦争は日本が悪かった。以上。」で終わらせるような人間なのかと思ったら、そうではなく、
「あのとき日本には日本の正義があった。守りたいものがあった。」
って言ってたから。
そこのところはすばらしい見識だと思う。
少なくても、
アメリカの戦争は全て悪。ただし日本を相手に戦った太平洋戦争だけは善」なんていう馬鹿サヨや
アメリカの戦争は全て善。ただし日本を相手に戦った太平洋戦争だけは悪」なんていう馬鹿ウヨよりも
ずっと筋が通ってる。
確かに、イラクにはイラクの、タリバンにはタリバンの、テロリストにはテロリストの正義がある。
アメリカのやる戦争は、確実に憎しみを生んでいる。
アメリカが糸引いてるイスラエルによってパレスチナの罪もない人々が蹂躙され、アフガン空爆でテロリストでも何でもないひとも一緒に殺され、
イラク戦争でも多数の被害者が出ている。
そんなものを「でもじゃあ9.11の被害者はどうなるの?」なんつーもので相対化できるはずがない。
どう考えても、アフガン空爆で死ぬアフガニスタン人の方がずっとかわいそうだし、悲劇が大きい。
そんな人を9.11の被害者の数よりずっと多く作り出してしまう行為が「正義の戦い」だなんて言っている奴は神経を疑わざるを得ない。



しかし。
やっぱ太田総理はガキなんだと思う。
テロとの戦い=正義」なんつーのが作り話だということすら気づかない馬鹿よりは頭がいいんだろうが。
大人なら、「テロと戦う道」を選択する。
なぜか。
アメリカVSテロ」では日本人はアメリカは味方してくれるけどテロリストは味方してくれないから。
アメリカはなんだかんだ言って日本人に対して空爆したりしないし、
テロリストは日本人をテロで殺そうとする可能性は多大にある。
そりゃどっちに同情するかってきいたら、厚顔無恥のアメ公よりは、生きるのに必死のテロリストに同情せざるを得ないさ。
でもしょうがないじゃん。
人の命は平等じゃないんだから。


ってこういうと、「右翼!」とか「差別主義者!」とか「ファシスト!」とか罵倒されるんだろうなあ。
でも、例えば僕だって、自分の娘と柳生すばるが溺れていて、どっちかしか助けられないっていう状況になったら絶対に自分の娘を助ける。
(娘なんていないけどさ)
あんたらだってそうだろう?
考えてみ?
自分の娘とせと弘幸が溺れてて、どっちかしか助けられないというのなら、どっちを助ける?
そこで「せと弘幸」と答えられるのなら、「人命は平等である」というあんたの主張が本当だと認めよう。
でも、そんな風に答えられるのは極一部だと思う。


大抵の人にとって、命の序列って次の通りじゃないかな。


家族の命>友達の命>自分の命>その他の人の命


もちろん、人によって違うだろうし、友達と自分がひっくり返ったり、
消防士の人なら
自分の所轄の人の命>家族の命>自分の命
だったりするかも知れないし、教師だったら
家族の命>教え子の命>自分の命
かもしれない。社民党員なら
金正日の命>家族の命>独裁国家の国民>自分の命>非独裁国家の国民>家族以外の日本人の命
くらいだろう。
まあ、そおいう風に人によって序列があるわけだけど、
ほとんどの人にとっては
家族や友達>知らないテロリスト
何ではないかな。だから、そういう人達の意見を集約して、全部足すと、
日本国民の命>>>>>>>>日本国民以外の人の命
ってなる。必然的に。
日本国民AさんにはAさんの親や友達やその他の人が「Aさんの方が大事」って思ってくれる人がいるけど、
日本国民でないBさんにはそういう人が(日本には)いないから。
民主主義社会において、国の意見というのは国民の意見を集約した意見だから、
民主主義国家では国民の命>>>>>国民以外の命という価値観が必然的に生まれる。
必然的に。


今の所、僕はテロとの戦いに賛成でも反対でもない。
別に自分の命がテロリストの命より大切だなんて思っていないし、
テロとの戦いが正義なんて言ってるハゲどもにはあきれているし。
でも、カミさんもらって、子供ができたら、テロとの戦いに大賛成すると思う。
まだ分かんないけど、たぶん、カミさんもらって子供できたら、どんなことがあってもカミさんと子供を守りたいと思うと思う。
テロリストの正義なんかより、アメリカの傲慢さに対する反抗心なんかより、ずっとカミさんと子供の方が大事だね。
例え全世界を敵に回そうが、人殺ししようが、自らのプライドを全て捨てようが、何がどうあろうとカミさんと子供を守りたいと思う。
絶対に。
それが全世界を敵に回さなくても、人殺ししなくてもいいのだから、僕は絶対にそっちを選ぶね。
ただ、「テロとの戦いは正義との戦いです」なんていう偽善者になるだけでいいのだから。
嫁さんと子供のためなら偽善者になることくらい屁でもない。
偽善者になることを拒否して嫁さんがテロで死んでしまうよりずっとましだ。



結論。
「大人は偽善者だ!」
アメリカが正義だなんて、自分らの利益を守りたいために作り出したおとぎ話だ!」
と大人になりかけの子供は言う。
そうだ。大人は偽善者だ。
それを承知で偽善者になるもののみ、大人になれる。
おとぎ話を作り話だと知りつつ信じるもののみ、社会人になれる。
偽善者になることを拒否して子供のままでいたいのなら、ずっとそうしてろ。
しかし、大人が選挙権持ってるうちは絶対にテロとの戦いは終わらない。






同意のかたや何か感じる事があった方はクリックお願いします→人気blogランキングへ










































追伸。


ただいま僕は「命をかけて守る相手」を大募集しております。立候補下さる方がもしいらっしゃいましたらメールください。
人気blogランキングへ