申し訳ありませんでした。

謝罪します。
申し訳ありませんでした。
被害者への配慮が足りませんでした。


何かの仕事で来社すると、借りた社外持出禁止の席次表を手に、自分とは永遠に無関係だと信じる「被害者(被害に遭いやすい人種)」の顔を無邪気に見学する人達の話を聞いて、
(向こうが名指しを避けているのでこちらも名指ししない)
世界は僕の想像以上にクズで満ちていると思いました。


どう考えても、わざわざ被害者を見に来るというのは
人の道を外れた最低の行為であり、
そんな人が数多くいるのは僕の想像力では到底及びもつかぬことでした。
僕は、世の中の善意を無邪気に信じていました。
もっと世の中はやさしくできていると思っていました。



僕の世界への無邪気な信頼という僕の言葉の前提が崩れた以上、
僕の言葉によって悲しむ人が出ている以上、
僕は謝罪しなければなりません。
ごめんなさい。
配慮が足りませんでした。



僕は、「被害者の気持ちを考えろ」
という声を意図的に無視していました。
何故かといえば、被害者に僕がかけられる声なんて、無いと思ったからです。
もう少し正確に言えば、僕に被害者に対してどうこう言える資格なんて全く無いと思っていました。
僕は被害者になることができませんから、
被害者の気持ちが正確にはわかりません。
ただ、ものすごく辛くて、身が千切れるほどで、生きていたくないような思いなんだろうなと想像していました。
そのような思いを持った人に、訳知り顔で優しい言葉をかけようとしたり、
たやすく味方面したりすることはただ被害者の神経を逆撫でする行為でしかないと思っていました。
被害者は深い傷を負っている、その傷の深さを実際に知らない僕に言える言葉など無い、
言える資格など無い、
そう思っていたから、あえて被害者へは何もいいませんでした。


僕には被害者の気持ちを考えて何かを言う資格がない、
何かを言えるとしたらまだ被害にあっていない人に「いかに被害にあわないか」くらいなものだ、そう思っていました。


でも、被害者の気持ちは自分の問題として考えようと思いました。
たやすく結論を出せそうなものではありませんが。
でも、考えていこうと思いました。




僕は、今まで、ネットにはびこるトンデモを批判するとき、わざと挑発的な言葉を使っていました。
トンデモさん達(「ネトウヨと呼ばれることが多い人達」)から非難され、罵倒コメントの嵐が吹き乱れ、炎上する、
でもこっちは自分の考える正論を言う、そういう一連の行為が好きでした。
それで、今回もトンデモさんたちを批判するときに挑発的なセリフで言ったのですが、
明らかに話題が悪いというか、デリケートな問題にそぐわない態度だったと思います。
これは僕の完全なる失策です。
すみません。



何を言っても(無意識的か意図的にかは分かりませんが)誤読されて
「性差別万歳野郎の人でなし」のように解釈されるのは悲しかったですが、
「現実に悪意が存在する以上悪意によって被害を受けたくない人が回避行動すべき」という自衛論に従えば、
誤読される方が悪いのであり、何を言っても誤読されるのなら、
僕らの目的は議論に勝つことではなく、皆の幸せを考えるである以上、
これ以上何かを言うのは無意味であるという結論に達しました。
というわけで、申し訳ありませんでした。




みなさま、コメントありがとうございました。
罵倒もその他も含め、読まさせていただきました。
代表として、quix_que さんの
わりと普通に考えるとこういうふうになると思うんだが。
そのとおりだと思います。


ただ、一言だけ言わせてください。
そこまで分かっているのなら、
「男は夜道で刺されても当然」とか「男はケモノが女性の自衛と結びついていること自体が差別 」とか
どうしようもなく頭の悪い論や、
「女は被害者予備軍だから善、男は犯罪者予備軍だから悪」のような
ことさら男女間の対立を煽るような論や、
「男には警戒したほうがいい」→「レイプするのは男の権利だと思っているのか!」のような超絶解釈も
同時に批判していただけないでしょうか。
あれを普通の男性(女性もでしょうが)見れば、
どう低く見積もっても男性の数割は「偏見」を強めます。
被害者(正確に言えば被害者の尻馬に乗る人)が珍論を並べたり、被害者を社会叩きの道具に使ったりすれば
「被害者も悪い」と考える人は「やはりこいつらの考え方には問題がある」という思いを強くするでしょう。
それを「偏見を持つほうが悪い」とか
「理解しないほうが悪い」としか思わないのなら、
いつまで経っても偏見はなくなりません。
本当に被害者のことを思っているのなら、党派性とかの話よりも重要である話だと思います。
僕の言いたいことはそれだけです。



最後に、僕の文章を読んで不愉快になった方々、
大変申し訳ありませんでした。


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なんとなく理解した

参考

戦争はなぜ起こるか5  『限定された平和』




「世界から戦争を消し去りたい」
というのは、日本人ほぼすべての切実な願いと言ってよいだろう。

じゃあ、世界から戦争を消すためには、どうしたらよいか?

この問題は、戦後日本で長い間大きく分けで二つの解決方法が主張されてきた。


A.この世に戦争があるのは仕方がない。
戦争があることを前提として、自衛隊を作り、
「なぜ戦争が起きるのか」、「戦争はどのように遂行するのか」
を研究して対策すべき。


B.戦争はよくないことです。
「戦争はダメ」これを言い続けていれば、
世界中の人が「戦争はダメなことだ」という見識で一致すれば、
戦争はなくなります。


この二種類がどちらも相当な力を持ちつつ、決してお互い交わることのないまま、
主張されてきたのが戦後の日本だった。
少なくとも北朝鮮の拉致が証明された2002年までは。


「世界から戦争を消し去りたい」思いは同じであるはずなのに、
主張Aの人とBの人は互いに殺し合いをせんばかりに対立してきた。


それはなぜかと言えば、Bの人がAの人を見下していたからだと思う。
もう少し正確な言い方をすれば、Bの人はAの人を「たましいの在り方に問題がある人」
だと考えていた。
「平和のありがたさを知らない愚か者」


Bの人は、Aの人の戦争があることを前提とするという哲学に対し、
「戦争があることを前提とするのは、戦争を認めているということ。
Aは軍国主義者予備軍である」という攻撃をした。


Aの人は、「戦争が悲惨だからこそ、戦争を研究するべき。
戦争がおこる過程が解明されれば、それを防ぐ手だてもおのずと明らかになる」
と主張した。それに対し、Bの人は、
「戦争を研究するとはけしからん。
戦争を研究するのは戦争が好きだからだろう。Aは異常者」
そう考えていた。


Aの主張の弱点は、
「戦争があることを前提とするのなら、戦争を減らすことはできるかもしれないけど、
無くすことは絶対にできない」
ということだろう。
だから、Bの人は、 「Aの方法で戦争をなくすことはできるのか?」
と聞いてきた。それに対し、Aの人の中でも誠実な人は、その誠実さから、
「無くすことはできないと思う。でも、減らすことはできるよ」
と言った。
もちろん、Bは「やっぱり無くすことはできないんじゃないか!だからAは無意味!」
と言ってきた。
Bの方法で戦争が無くせるのかどうかは問いもせずに。


Bの人の主張を支えてきたものは、言ってみれば、「信念」のようなものだったと思う。
「戦争が起きるかどうか」は個人の信念や感情とは別のはずなのに、そういうものが事実に優先するかのような発言を繰り返した。
生理的に戦争を忌み嫌っていたから、戦争を論じること、戦争があることを前提にすること自体が
「信念」に対する、許さざるべき犯罪だったのだろう。
戦争の被害者が「戦争で酷い目にあった。だから戦争の準備をする自衛隊は許されない
と語れば、それが神のお告げかのように妄信し、疑問を持つものには
「戦争の被害者を侮辱する行為!人でなし!」等のあらんかぎりの罵倒がなされた。
戦争の被害にあってもAを支持するものは「痛い目に遭ってもまだ洗脳がとけないどうしようもない愚者
という扱いだったが。


Bの人のはAの人の主張を捻じ曲げることでAの人を異常者扱いにしてきた。
Aの人の言う「戦争を起こす人は×○□という考えを持っていると考えられる」
と言う言葉が、
「私は×○□という考えを持っている」に意図的に改ざんされ、
「×○□という考えを持つAは異常者!戦争を起こす気だ!」
「戦争が起きるのは人間の性(さが)。だからこそ対策を真剣に考えよう」
という言葉が「戦争を起こすのは私の性」になり、
あげくのはてには「戦争を起こすのは私の基本的人権になった。
そうやってBの人はAの人の歩み寄りの努力をことごとく踏みにじり、ヒステリックにAを凶弾してきた。



これらは、別にレトリックでも例えでもフィクションでもない、ただの歴史的事実だ。
そして、僕は、Aを支持している。


先日亡くなった江畑謙介氏は「戦争がなくならないのは仕方がない」と考えていたが、
「戦争をしてはいけません」としか言わなかった人間よりよっぽど平和に貢献してきたと思う。


五百籏頭真さんも「戦いを忘れる国は滅ぶ」と言っているが、
「戦争反対」しか言わなかった人よりずっと平和のために働いていると思う。



ただし、日本では、少なくとも20世紀中は国民のかなりの割合の人がBを支持し、
Bが正解であると信じられてきた。何十年も。
今も大きくBの考えが爪痕を残している。


何が言いたいかと言うと、
かなりの国民が何十年も信じてきた「神話」、
今も根強い力を持つ「神話」
を、僕が批判したところでどうこうするのは不可能だってことだ。
いまさらだけど、なんとなく正体みたいなものが見えたので、
やっと分かった。遅すぎる、自分。


「現実的な判断」とは、そういうものだ。
ということで、外面には「そうだよねー、Bだよねー」と話を合わせておいて、
自国と同盟国はきっちりAの方針で守る

というのが妥当的な話の落とし所である気がする。


Bを支持する国は、支持すればいい。
僕は内政干渉や主権侵害はしない。
ただ、Bを支持して侵略されて蹂躙されたら、それは「自己責任」(嫌いな言葉だが)としか言いようがない。
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善悪という瑣末な問題

またもや続き。


前回までのことを復習(ってほどでもないけど、)何VS何で盛り上がっているかというと、
「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」(自衛厨と呼ばれています)
VS
「自衛すべきというのは女性差別だ!派」(便宜的に性差別派、とでも言っておきましょうか)
です。
「強姦を防ぐために女性は自衛すべき派」の方はこの一行だけで
主張のほぼ全ての要点が集約されているのでいいですが、
「自衛すべきというのは女性差別だ!派」の方は何と言うか、一言で説明しずらいので、
実際に言ってる人の例を挙げときますんで読んでみてください。
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2009/1207001329.php
(はっきり言ってかなりの超絶理論なので、理解できないかも知れませんが、
それは僕のせいではありません。超絶理論だからです。)
一言で言うのは難しいので二行で言うと、
「強姦するのは男で、悪いのは男なのに、なぜ犯罪を避けるように
女の方が努力しなければならないのか。これは性差別。」
ってことらしいです。





さて。
この「自衛厨」VS「性差別派」の戦いですが、
「性犯罪をこの世から減らしたいという願いは同じであるはずなのに、
なぜこんなにもお互い罵倒しあわなければならないのだろう?
(お前も同じくらい罵倒し返しとるやろというつっこみは置いといて)」
と悲しく思っていたのですが、
ちょっとだけその原因の一端をつかんだと思うので、紹介しときます。
ヒントになったのは僕の先のエントリについたブックマークコメント。

id:mame_3 「あなたの眉毛がイラついたので殴りました」「殴ってはいけません。でも今後殴られないためにあなたは眉毛を細くするのはやめなさい」話の構造としてはシュールなまでに理不尽なのに性的要素が強まるとこの有様。


これを見て、やっと理解ができた。
要するに、あんたら(性差別派)って、善悪の話がしたいのね。


いやー、僕はてっきり、「いかにして性犯罪を減らすのか」って話だとばっかり思ってたよ。
違うのね。
あんたら、性犯罪を減らしたいわけじゃないのね。
「どっちが悪いか」って話なのね。



自衛厨「犯罪を減らしたい。できれば無くしたい」
反自衛厨「どっちが悪いか決めたい」

いやー、目的が違うのなら、最初から議論がかみ合うはずがないわ。

しかし、僕は、あんたらの話に乗る気は無い。
というより、「善悪」なんて話には興味はない。
とるに足らない、くだらねー問題に過ぎない。




つまりこういうことだろ?
(性差別派の脳内の自衛厨の主張)
強姦が起きる可能性なんて、0.000000000000000000000000000001%も無い状況で、不幸にも強姦が起きてしまった。
この場合、悪いのは加害者である。
加害者が100%悪く、被害者は0%である。被害者は少しも悪くない。


そこまではいい。
問題は、強姦が起きる可能性が高い場合である。
強姦が起きる可能性が高い地域(仮に50%としようか)において、
何も警戒せずに女性が歩いてて、不幸にも強姦が起きてしまった。
この場合、被害者の女性も悪い。
加害者が80%悪く、被害者が20%悪い。
(性差別派の脳内の自衛厨の主張ここまで)

↑こんな風なことを主張してると思ってるんじゃないか?


そんなこと、全く主張していないから。
いついかなる場合においても、加害者が鬼畜な行動を起こさなければそんな悲劇は起きなかったんだから、
加害者が100%悪いに決まってる。
当然の話。
双方加害者の交通事故じゃないんだから。
被害者はそんなこと全く望んでいないのに、加害者の一方的な都合で加害者が起こしたことなんだから、
加害者が悪い。
これ以外の結論はありえない。

それを、
「被害者も20%悪い」なんて言ってると勝手に思いこむから、
「被害者を侮辱する行為」とか「セカンドレイプ」とか「性犯罪者予備軍」とか相手に罵詈雑言を投げつけたくなるんじゃ?


繰り返します。
加害者が悪い。
これ以外の結論はありえない。



しかしだな。
そんなことは、どーだっていいのよ。
うちらの中では。
自衛厨の中では。

id:mame_3 「あなたの眉毛がイラついたので殴りました」「殴ってはいけません。でも今後殴られないためにあなたは眉毛を細くするのはやめなさい」話の構造としてはシュールなまでに理不尽なのに性的要素が強まるとこの有様。


これをもう一度引用すると、
「あなたの眉毛がイラついたので殴りました」
↑こっちは、加害者のセリフでいいよな。

「殴ってはいけません。でも今後殴られないためにあなたは眉毛を細くするのはやめなさい」
↑こっちは誰のセリフだ?
天から見てる神様かなんかか?
確かに、天から神様が見ていて、「アイツは悪いことしているな」と認定次第、その悪行をやめさせる力があるのなら、
善悪を論じる意味はあるだろう。
しかし、現実にはそんなのいないのよ。
「殴ってはいけません」
↑そんなことを誰が何万回言おうと、被害者が殴られた痛みが消えるわけでもなんでもない。
ただのお経にすぎなんだよ。


レイプの話で言えば、
「加害者が悪い」と1000億回言おうと、
加害者を死刑にしようと、打ち首獄門の上さらし首にしようと、
被害者がレイプされたという事実と被害者の心の痛みは消えないんだよ。

「加害者には男性優位の考えがうんぬん」「社会が悪い」
なんて評論家が評論しても、そんなものは無意味な呪文に過ぎないんだよ。


「悪いのは加害者なのに、リスクを避けるために被害者側がコストを払うのは間違っている」
確かにそうだよ。
筋は通ってると思う。
しかし、いくら正論だろうと筋が通っていようと、
心の傷を受けるのは間違った世の中でもあんたらでも僕でも加害者でもない、
レイプを受けた被害者しかいないんだよ。
そんな中で正論なんて、何の意味がある?



そんで。

id:mame_3 「あなたの眉毛がイラついたので殴りました」「殴ってはいけません。でも今後殴られないためにあなたは眉毛を細くするのはやめなさい」話の構造としてはシュールなまでに理不尽なのに性的要素が強まるとこの有様。

このたとえ話に戻ると。
(何度も引用してごめんなさい)


「眉毛が細いのがイラついて殴る事件」が多発しているのなら、やるべきことは次の二つである。


1.「眉毛が細いのを見るとイラついて殴る人間」の駆除
2.危険を避けるために眉毛を細くするのをやめる


1.については何も問題ないだろう。
個人的には、性犯罪者は全員去勢か死刑でいいと思う。
「加害者による脅迫や復讐などのセカンドレイプが怖い」
というんだったら、物理的に取り除いてしまうのが一番手っ取り早い。
性犯罪者は死刑で。(「性差別だ派」は間違っても「加害者の人権」とか寝言をほざくなよ)

2.について。
シュールであろうと理不尽であろうと、
「眉毛が細いのを見るとイラついて殴る人間」なんてもんが存在して、
そいつを駆除しきるのが困難なら、
そして、被害にあうのを避けたいのなら、
するべきことは眉毛を細くするのをやめることである。



もちろん、「本当に殴られた原因は眉毛が薄かったからなのか」
「眉毛の薄さと殴られる確率に確固とした相関関係はあるのか」
という問題は、詳しく吟味しなければならない。
「スカートの丈が短いと強姦される確率が上がる」
という話が嘘なのなら、言うべきことは
「だから対策するな」ではなく、
「こっちの統計に基づけばむしろこういうことを避けるべき」
ということである。
そもそも、「ミニスカートは性犯罪を誘発しないよ」って人が
自慢げに出す資料だって、「性犯罪に対する統計」でしょ?
ようするに、「統計を見て、こうすれば強姦を受ける確率が上がる、下がる」
って分析するための資料でしょ?
それって自衛のための資料じゃん。
(統計の結果、いついかなる場合でも強姦を受ける確率は変わらないってのなら話は別だけどさ)


別にそれでも眉毛を細くしたいって言うのなら、
僕に止める方法はない。
自由だ。
しかし、それによって殴られる事件が発生したのなら、
その痛みは、殴られた人だけのものだ。
誰も何もしてあげられない。
「殴った奴が悪い」なんて言っても殴られた痛みは消えない。
せいぜい僕らにできることと言ったら、殴った奴に対する制裁くらいしかできない。
「自由には責任が伴う」ってのはそういうことだ。


というわけで。
繰り返すが、
「善悪」なんてものは何の意味もない。
「加害者が悪」なんて言っても、被害者の心の傷が癒えるわけじゃない。
そんな中で僕らにできることと言ったら、
これ以上被害者を増やさないようにすることだけじゃね?
って話。
だから、僕は言い続ける。
「知らない男を信用するな。」
「男を見たら、ケモノだと思え。」
「夜道の一人歩きは避けろ、周りの人間でも警察でも何使ったっていいから。」
差別者と言われようが、抑圧だと言われようが、セカンドレイパーだと言われようが、言い続ける。
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最後にちょっと関係ないけど、
「善悪という瑣末な問題」
というタイトルは、↓このHPからの引用です。
このHP自体は歴史や軍事のページなのですが、とても素晴らしいページで、
今回言いたいことも(大きな目で見れば)同じことだと思ったので、
引用させていただきました。
お勧めなので、歴史や軍事に興味がある人は見てみてくださいい。
善悪という瑣末な問題(私的レポート・太平洋戦争)
http://members.at.infoseek.co.jp/tou46/re_00_21.html


こっちもよろしく(人気ブログランキング
http://blog.with2.net/link.php?363096

「なぜ強姦魔のために女性の側が行動を制限されなければいけないのか」を蒙昧な君たちに教えてあげよう

注意※今日のエントリも、性的な表現を含みます。
性的な話題が苦手な方は不快感を覚えると思いますので、読まないでください。





さて。
初めに謝らなければならないことがある。
「男はケモノ」って、一般的に使われる言葉だと思ってたのだけど、
この場合モトネタあったのね。

「悲劇を失くするために」
男と女はまったくちがう性である。男は女にくらべ大柄でたくましく、殴りあいをしたらほとんどの場合、女は男に勝てない。筋力や瞬発力でも男の方がはるかに勝っている。しかし持続力があるのは女の方だ。たとえば単調なこと(編み物、機織りとか)を飽きずにやり続ける能力。妊娠出産育児など根気と忍耐力のいる仕事。男に機織りや編み物をやらせればイラッっときてすぐに放り投げ、ときにはカッとなって機械をぶち壊す。こどもが泣き続けたなら「うるせえ」とさけんで部屋をとびだす。泣き止むまでそばにいて子を宥めすかせるのは母親だけだ。待ちあわせをすれば、わずかな遅れでも激高し、せっかくのデートを台無しにしてしまう。とにかく男は忍耐力がないのである。

どうしてこんなはなしをするのかというと、近ごろ男と女の殺伐とした事件がめだつからだ。たとえばリンゼイ・アン・ホーカーさんの死体遺棄事件。整形までして逃げ回っていた市橋容疑者だが、彼は本来、真面目でごく平凡な青年なのではないか。あくまでわたしの推測だけれど、彼は初めリンゼイさんを殺す気はなかった。しかし、恋いこがれていたリンゼイさんにいざ告白をしてみたら「わたしはそんなきもちになれません。個人的につきあうなんていやです。きらいです。やめてください」ときびしくことわられた。それでついカッとなって衝動的に抱きつき、接吻し、したらばさらに抵抗され、はげしく揉みあい争ううちに、憎悪がふくらみ、おもわず首をしめてしまった。

ここで若い娘にあらためていいたいのが、男と女のちがいである。男は忍耐力がなく、カッとなるとなにをしでかすかわからない。一瞬で獣になる生きものだ。一方、からだはよわいが性格はきついのが女。リンゼイさんには申し訳ないけれども、市橋に迫られたとき、もうすこしおだやかに断っていたなら。「ありがとう、でもわたしはまだそんな気になれません、またあとでゆっくりお話ししましょう」こんなふうに今後に余韻をのこしていれば。巧みに処して逃げていたなら。むろん100%市橋がわるい。しかし彼女がもうすこし曖昧に、いくらかやさしく接していれば、悲劇はおきなかったかもしれない。ともかく親は安全のため、こうした男の狂気やこわさを若い娘におしえておく必要がある。

うわー…だね。
確かにこれはひどいわ。
女性差別と言われても仕方がない。
この渡辺淳一さんの言ってることはクズだわ。
ええと、僕は、「男はケモノ」って言葉は一般名詞的に使われるときの「男はケモノ」っていう用法と
勘違いしていて、こういう用法で使われていることを前提としていたとは知らなかったので、その点は
確認不足でした。
申し訳ないm(__)m

いやだって使うじゃん。「男は狼」とか「男はケモノ」とか…
でもそういうことを知らなかった僕に責任があるのは間違いない訳でさ…すみませんでした…




さて。(立ち直った)
それでも、id:Dr-Setonと不愉快な仲間たちの頭がブッチギレってことには、少しも変わりはないわけですよ。
なぜ強姦魔のために女性の側が行動を制限されなければいけないのか?
本当にそんなことが分からないのでしょうか?
分からないのなら、馬鹿としか形容の仕方がないのですが。
しかたない。
馬鹿なら教えてあげよう。

「鍵かけずに車を置いておいて盗まれるのは、鍵かけない方が悪い」
「財布を置いておいて盗まれるのは、持ち歩かない方が悪い」
「無防備にソマリアを歩いて強盗に会うのは、そんなとこ歩いてる方が悪い」

世の中には、被害者を責める心無い諫言でいっぱいです。
でもさ、別にこのフレーズって、本当に「鍵かけない方が悪い」って思って言ってるわけではないのよ。
悪いのはもちろん盗む方に決まってるのよ。
なら、なぜ「盗まれる方が悪い」とかいう話を聞かされるかっていうと、
「そのくらいの気持ちで望まないと、犯罪に対処できない」ってことなんですよ。
防犯ってのはそういうこと。
犯罪であるのなら、殺人だろうが放火だろうが強盗だろうが全く同じことであるはずなのに、
なぜ「強姦」だけ、なんか「女性差別」だの「フェミニズム」だの良く分からん概念が出てくるのでしょうか?



(もちろん強姦を含め)犯罪を減らす方法としては、次の二つ。
①犯罪者を減らすこと
②犯罪者が犯罪を犯すチャンスを減らすこと


渦中の曾野綾子さんが言いたかったことは、②の観点である。
理想的にはどうであれ、現実的に犯罪に対処するには①②両方とも必要な話である。
んでもって、
曾野綾子さんが悪かったことは、②を言うのはいいのだが、その方法がいささか似非科学的だった、ってことらしい。
どの辺が似非科学的かというと、「強姦魔を発情させないように太もも出すな」って部分。
それで、前から湧き上がってるDr-Setonその他は、徹底的にこれを批判したわけだ。
そして、この曾野綾子さんを批判する人たちが何を間違っていたかというと、
・②の話をしているのに①の話を持ち出したこと
・①の話の実現方法が似非科学的だったこと
この二点だったと思う。
どの辺が似非科学的かというと、「強姦魔を減らすために男性の意識改革」ってあたりが。



さて。
ちょっとした例え話をしよう。
あるところに、女子寮があって、26人の女子学生が住んでいたとしよう。
(人数に特に意味はない)
名前をAさんからZさんまでとする。
ここで、Aさんがレイプの被害にあってしまった。
その場合、どうするべきだろうか?
どうするべきか正解はないだろうが、とにかく、
「Aさんの方にも落ち度があった」とか
「被害にあったのは〜〜だったからだ」のように
Aさんを責めたり、原因を追究するのは間違っている。
そんなことは絶対にしてはいけない。
そんなことしても誰も何も得をしない。
「あなたは悪くない」と、寮母さんが抱きしめてあげるべきだと思う。


それで、「Aさんは何も悪くない」とAさんに言った寮母さんは、Bさん〜Zさんにも同じことを言うべきだろうか?
それは違うと思う。
繰り返し被害にあわないように、Aさんが被害を受けた理由を分析して、
Bさん〜Zさんに注意を呼び掛けるべきである。
そのとき、Aさんが強姦にあう可能性を上げるような行為をしていたら、
きつい言い方になるが、「Aさんの方にも不注意な点があった」
的なことを皆に伝えるべきだ。
明日BさんやCさんが同じ行動をとらないためにも。
(繰り返しになるが、Aさんにそのことを言うのは無意味である。
また、言っては傷つけるだけなので、絶対に言ってはならない)


さて。この寮母さんの行為は、Aさんとそれ以外の女性には違うことを言っていたわけだが、
それは「二枚舌」とか責めるべきことではない。
それが世の中の現実だ。
世の中っていうのは、そういうもんだ。
で話に戻るけど、
曾野綾子さんのあの文章は、「Aさんあて」なのか、「Bさん〜Zさんあて」なのか、どっちなんでしょう?
もちろん正解は後者だ。
あの文章はレイプ被害者にあてた手紙ではなく、不特定多数の新聞購読者にあてたものだ。
もちろんレイプ被害者も新聞を読んでいる可能性はあるので、その点デリカシーが欠けていたと思う。



ただ、あれを読んで「セカンドレイプ」とか「犯罪者擁護」とかそういう捉え方をするのは違うだろ。
「犯罪を助長する」とかに至っては、お話にならんとしか言いようがない。
産経新聞読んで、保守ババーの論説真に受けて、(というか深読みして)
強姦してもいいんだ!なんて考えに至る性犯罪者なんて、いるわけないだろ!!!
はてなの論争みて、「そうか、この男たちは俺が性犯罪をするのを容認するんだな」なんて早とちりして、
強姦に走る性犯罪者なんて、いるわけないだろ!




そんでだな。
最終的には、犯罪を防止する、最終的な責任は、「その犯罪が起きてほしくない当事者」にある。
家の財産盗まれたくないのなら、最終的にはその財産もってる人がどうにかするしかない。
もちろん、警察や行政は協力してくれる。
ただ、限界はあるので、セコムに入るなりなんなりして、最終的には自分でケツもつしかない。
確かに悪いのは犯罪者だ。犯罪者が悪いのにセコム料金を自分が負担しなければならない世界は間違っている。
でも、そんなこと言っても、世界はそーゆーふーにしかできていないのだから、仕方がない。
僕だって、アフリカ旅行に行ったときは、夜の街歩きたかったけど、我慢してホテルでじっとしていた。
悪い治安とか、あてにならない警察とかで、自分の身を守り切る自信がなかったからだ。
ぼくだって、歩きたかったさー。見たいものいっぱいあったさー。なんで犯罪者のせいで僕がじっとしていなきゃいけないんだーって思うさー。
でも悲しいけど、それが現実なのよ。
強姦も同じ。他の犯罪と全く変わらない。
最終的にケツ持つのは、強姦されたくないその女の人本人以外にありえないわけよ。
「なぜ男は強姦をふせぐためのコストを払わなくてよいのか」ってそりゃしょうがないじゃん。


僕らは守るべき体を持って生まれなかったんだから。

ただ、女の人の場合、夜の一人歩きに不安を覚えたら、男の人に迎えを頼んだり、送ってもらったりってのはありだろう。
まともな男の人なら、まず協力してくれると思う。
男の人は「襲われにくい」ってアドバンテージがあるんだから、それぐらいするのは義務だとおもうし、
それって、十分な「強姦を防ぐために男が払ってるコスト」じゃね?


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強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ←これに賛成するすけべ男はさっさと自分のチンコ斬ってUPしろ

注意※今日のエントリは、性的な表現を含みます。
性的な話題が苦手な方は不快感を覚えると思いますので、読まないでください。









注意2※「強姦」等の言葉を使います。
そういう話題は不快な人は読まないでください
















OK,
なんか盛り上がっているので参戦してみる。




僕の見る限りでは、発端はこれ。
強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ

強引に一言で要約すると、
「強姦されたくないなら深夜に一人で出歩くな、ふともも丸出しのスカート履くな」
という曾野綾子さんの文章にブチギレ状態らしい。

曾野綾子さんの文章もあまり感心できたものではないけど、はっきり言ってid:Francesco3さんのむちゃくちゃな論よりは
ずっとマシっていうか、まだ理解できる範疇だと思う。


要するに、曾野さんの言いたいことって、

1.犯罪に巻き込まれないために防犯上の意識を高めよう
2.私は慎みのない(ミニスカート履くとか深夜に出歩く)女が嫌い


この二つであって、この二つがミックスして融合した結果レイプ被害者への中傷とか訳のわからんことになっちゃったわけで、
でも別に1.も2.も間違っていないだろ。


1.については100%正しい。少なくても僕は全面的に同意する。
2.については、「そんなもん個人の好き嫌いはしょうがない」としか言えない。
僕に天皇を好きになれと強要してくる右翼がウザいのと同じで、やたらのマッキントッシュ進めてくるマック信者がウザいのと一緒で、
人が嫌いなものを好きになるよう強要するなんてことは不可能である。
僕はミニスカート履く女の人とか大好きだけど、そーゆーのが嫌いな人がいることを否定しようとは思わない。


んでさ、曾野綾子さんが間違っていたのは、2.がエスカレートしすぎて、「慎みのない女がレイプされたのは被害者にも責任がある」っていうふうに本来関係ない話である防犯の話を持ち出して、犯罪に巻き込まれた人まで中傷したことだ。
それが気に食わないのはわかる。
だからって、曾野綾子さんを否定したいからって、1.まで否定しだすと、気が狂っているとしか思えない。


びっくりしたのは、こんな話に賛成する人が(男女問わず)結構いるってことだ。
いったい世の中、どうなっとるんだ?


男は性犯罪を防ぐために外出制限されて当然

このid:Dr-Seton さんは男性らしいけど、もちろん一歩も外に出ていないんだよな?
「まず隗より始めよ」って言葉があるが、自分に外出制限されたり夜道でさされたりルドヴィコ療法される覚悟もなしにこんなこと言ってるのなら、
チキンホークもいいところっていうか、人間のクズすぎる。



変態さんたちもその辺をうろついてるから用心しようねってのが何故分からない?変態野郎がたくさんいる。これは事実なんだよ。

だから、ヘンタイさんのために“女性の側”が行動を制限されるのは間違っているだろ?それが「現実だ」というなら、男性の側の行動を制約したっていいだろうが。女性の行動制限が当然だと考える事自体が問題なんだよ。


頭ブッチギレテいますね。
この人、もちろん、家や自転車に鍵をかけないし、治安の悪い南米の都市でも平気で歩くんでしょうね。


Dr-Seton「駅前に自転車を置いておいたら盗まれました!」
警官「ふむう。それは気の毒に。どういう鍵かけてたの?」
Dr-Seton「鍵はかけていません。自転車を盗む方が悪いのに、被害者である自分の方がカギを買うコストを払うのは間違っています。」
警官「は?鍵かけてないなら、盗まれたってしょうがない。鍵かけてない方が悪い。」
Dr-Seton「泥棒を正当化するのですね。あなたのような人がいるから、泥棒が減らないのです」
警官「……(死ねよ)」



消防士「あのう、Dr-Setonさん、こんなところに灯油のポリタンク置いておくと危ないよ。放火してくださいって言ってるようなものじゃん」
Dr-Seton「個人の自由です。なぜ私の自由が制限されなければいけないのですか?」
消防士「いや、防犯上、危険は取り除いた方がいいって話なんだけど」
Dr-Seton「なぜ被害者の私の行動が制限されなければならないのですか?それより、放火犯の方に行動の制限をかけるべきです。あなたは放火犯を正当化しているのですね。」
消防士「……(死ねよ)」


こんな感じなんだろーなー。
もし、家の鍵をかけてたら、ダブルスタンダードもいいとこだしな。


「男はケモノ」が「女性の自衛」と結びついていること自体が差別


 「男はケモノ」であるとしましょう。世の中に、人間を手当たりしだい襲うような「ケモノ」がうろうろしている場合、まっさきに対策されるべきは「ケモノ」の排除です。たとえば野犬が増えて人々の身が危険になった場合、ふつうは野犬を捕まえて隔離するか、酷いのになると殺してしまったりするわけです。「自衛」はこの野犬対策というのがいまだ貫徹しない場合においてはじめて、緊急的にやむをえずやらなければいけない対策であって、目指されるべきは、野犬がいない、つまり「自衛」の必要がない社会です。野犬対策会議において、「そんなことより「自衛」しようぜ!ひとりひとりがマッチョになれば野犬も恐くないよ!」といったことをわめきたてる人がいたら、われわれは彼に空手道場か何かを紹介して、丁重にその場からお引取り願うでしょう。

 ところが「男はケモノ」論はこれとはまったく逆の帰結をもたらします。「男はケモノ」といって、この世の中があたかも野犬が跳梁跋扈している社会であるようにみなしておきながら、その対策は女性の「自衛」の問題になってしまうのです。論理的に考えれば、「男はケモノ」であるならば、野犬が駆除されるのと同様に、去勢されるか、少なくとも行動の制限(たとえば、深夜に出歩くことを禁止する、混雑時は電車に乗らない)が、まず男の側にもたらされるのが筋です。しかし、「常識」は、これが女性の「自衛」の問題になるのです。「常識」が間違っているのです。


さっきのid:Dr-Setonさんにしても、このid:hokusyuさんにしても、発想が気持ち悪すぎる…
こういう人ってちゃんと友達はいるのか?
女の人と付き合えるのか?付き合ったことがないのか?
どちらにせよ、こういう「世の中には酷い男がいるんもんだね。でも僕たちは違うよ!僕たちは女性の味方で、男全て敵だよ!」
っていう言説をたれながす人の方が、「男はケモノ」っていう人よりずっと怖いっていうか、レイプしそうな気がするのは僕だけではあるまい。
こういう男らこそ、「すけべ男」という称号を与えねばならないだろう。


まず、男が女に「男はケモノだから、気を付けなよ」って言うときって、女を襲う気が無い男しかそんなこと言わないだろ?
つまり、その男の中では、「自分は襲わないけど、男の中には女を襲うようなケモノというべき最低のクズがいる。そういうクズの被害にあわないためにも、『男を見たらケモノと思う』くらいの警戒心は持った方がいい」
っていう前提があるからこそ、「男はケモノ」って言うんだろ?
そーゆーこと女の人にいうような男は、女の人に自分が男だからという理由だけで「こいつはケモノなんだ」って差別されるというデメリットを受けるのに、それでもかまわずに女性のために諫言をしたわけだ。
そーゆー男は、「夜の強姦をふせずために男は全員外出禁止」なんてありえない解決策をとたまって女にいい顔しようとしてるどすけべ男どもよりはよっぽど信用できると思う。


ていうか、「男は強姦するから外出禁止」って、「在日は犯罪を犯すから全員強制国外追放」と同じ論理だよね?
1%に満たない少数派のクズ(強姦魔や犯罪者)を理由に全体(男全体や在日全体)に差別をかけるのって、最低のレイシズムだと思うけど?


だいたい、「性欲は抑えられない」んじゃなくって、
「抑えたくない」だけで、
「ボクちゃんを刺激する相手(この場合、女性)が悪いんだもん」っていうのが、
おこちゃまでワガママな責任転嫁なわけだよ。

http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091204



いやいやいやいやいや。

おかしいから。
本当に強姦するような人は、「男の性欲は抑えられないから気をつけろ」なんてわざわざ言いません。
責任転嫁もくそもあるか。
ボクちゃん(=防犯を呼び掛ける人)と、強姦する人(=性欲を抑えられない人)は、別人であって、言い訳でも責任転嫁でもありません。




僕は男ではあるけど、強姦はしたいとは思わない。
性犯罪は根絶してほしいと思う。
「それでも性犯罪を根絶するコストは払いたくないんでしょ」って言われたら、夜のパトロールくらいはしてもいいと思うし、僕と同じこと思ってるひとが大半だと思う。
「性犯罪根絶のために男は全員去勢しろ」って言われても、女性の過半数がそれに賛成するのならやるけど、その可能性は極めて低いと思う。
ちなみにミニスカート履く女の人は好きだし、夜遊びするのも結構だと思う。
てゆうか地味で夜遊びしない女の人はつまらないと思う。
(てこれはあんまり本論に関係ないか)
実際のところ、僕は強姦したことないし、する気もないので、スカートの長さがどういうのが強姦されにくいのかなんてことは分からない。
それでも、女の人が気をつけるべきとこを気をつけて(防犯ブザーとか)払うべきコストを払っていれば、
強姦などの犯罪に巻き込まれるリスクは半減、というか、数分の一以下に下がるってことは断言できる。
そりゃリスクをゼロにすることはできないけど。
それで充分だ。
僕らは男も女も明日交通事故で死ぬかもしれないし、珍種の難病にかかるかもしれない。
「予測できる範囲のリスクは、可能な範囲で減らそう」たったこれだけのことに難癖をつけることには、賛成できない。



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二つの全体主義に心から反対する


前回、狂信的な外国人参政権賛成派を批判しました。
そのまえには、これまた狂信的な外国人参政権反対派を批判しました。

こういうことしてると、
「お前はどっちの味方なんだ?」
ともしかしたら言われるかも知れません。


そしたら、こういいます。
どっちの味方でもありません。
というより、どっちとも大嫌いです。


両方とも、「俺様の意見は正しい。俺様の意見に賛成しない人間は愚者であり不見識」という
脳みそオープンリーチ状態であることには全く変わりがないわけだし。


こういう思考回路が全体主義の思考回路なんですが、
こういう手合いに限って自分を全体主義者と思ってなさそうなのがまた
頭が痛いというか、気持ちが悪いというか…



んで、前回反論した土曜の夜以下略氏からまた
再反論(らしきもの)がきたんだが、
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20091116

みっつもトラックバック下さって、ありがとうございます。

まあ、内容はやっぱり、
「私の素晴らしい崇高な思想を理解しないお前らは無知だ!」
っていう内容なんですが。



このブログ主(引用者注:僕のこと)だけではなく、このテの「人権?w馬鹿じゃね?偽善者プゲラ」的な反応を読んだとき正直いって、何の意味かよくわからなかった。どうやら私が「人権を守れ」的な観点から「永住外国人地方参政権」に賛成していると思っているらしい。(違っていたらすみません)大変申し訳ないが、むしろ私にはあまりそういう「意識」が無かったもので、「ああそういわれればそういう側面もあるな」と思い至った次第。わかってみれば逆に「政治や地方自治に関心がない人はこういう側面からこの問題をとらえているのか」と興味深かった。(大抵の場合、人は自分の関心のある問題について、他人も自分と同じ視点で考えると思い込みがちだからね)


なんつーか、相手の反論の意図がよく分からなかった時って、


・相互のコミュニケーション不足
・自分の文章が拙い(相手が意味を取り違えている)
・相手の文章が拙い(自分が意味を取り違えている)
・自分の理解する能力が足らない
・相手が前提としている知識を自分が知らない
・そもそも、相手と自分は違った存在で前提が違うため分かりあえない


ざっと考えても↑これだけ考えられると思うのだが、


相手が無知


という発想が真っ先に出てきて、


それ以外の可能性が思いつかない


というのが全体主義者イズムが炸裂していて、何とも言い難い心向きになりあそばされていらっしゃいます。


まあ、自分の書いた文章を(文章読解能力の低い方でも分かるように)
解説すると、
そもそも社会的弱者、少数派に「権利」を付与することは多数派にとってメリットが見いだせないのはある意味、当然といえば当然である。
それは生活保護にしろ、ホームレス対策、貧困対策だって同様である。

という文章を翻訳すれば、
俺には貧乏人に生活保護を付与するメリットはないけど、それでもさずけるぜ!なんて慈愛に満ちた俺!
俺にはホームレスを救済することに何のメリットもないけど、(ry
俺には貧困(ry

っていう社会的弱者に対する猛烈な上から目線というか、「授けてやる」的な見下した気持ちが伝わってきて、
それを偽善に感じたわけだ。



それにしても。


あんたらさ、自分に賛成しないものに対して、「無知」だの、「政治や地方自治に関心がない」だの言うけどさ、
じゃあ教えてくれよ。


あんたは、僕の知らない何を知ってるんだ?



たぶんだけど、政治経済でセンター試験受けたらあんたより僕の方がいい点とるぞ?
それは下世話すぎるとかいわれそうだけど、たぶん僕の方がいっぱい本読んで、政治の仕組みとかを勉強してて、
あんたらの思考回路も知識としては知ってるぞ?
ようするに、頭の悪い日教組の教師に「昔は国民は権利はなかったけど、闘争の末国民は権力者から権利を勝ち取ってきた」
なんてなことを教え込まれて、「なるほど」って思って、それを疑うこともせずにここまで生きてきたんだろ?

そんなことくらい、僕だって知ってるに決まってるじゃん。
僕だって頭の悪い日教組教師にそんなこと言われて、「なるほど」って思って、
そーゆー系の本とか読んでもっと「なるほど」と思ったんだから。
結局そーゆー考え方はしなくなったけど。



自分の考えに賛同しないものを「無知」だと罵倒して、自分の気に入る考えだけ相手にしても、
ちっとも賢くならないぞ?(知識は少しは増えるだろうけど)
僕は、知識だけではなく、「考え方」も知ろうと努力してきた。
今見返すと過去ログにはかなり「考える過程」が残ってる。
だから、あんたらのような「権利真理教」的な考え方も、ネトウヨ的な考え方も、知ってるんだよ。
でも、あんたは知らないだろ?ネトウヨ的な考え方も、僕のような考え方も。
そりゃそうだ。違う考えをする人間を馬鹿とか自分より劣った人間とかそういう見方しかできない人間に自分の考え方と違う考え方を理解できるはずがない。
なぜ、あんたらの思考回路を理解しているのにも関わらず、あんたらと同じ結論にならないか?
そりゃ、結局のところ、「僕らは違った個体だから」としか言えないかなあ。
僕は、「権利は義務とともにある」と考えている。
(たぶん、あんたらの一番嫌いな言葉の一つなんだろうと思うけど)



僕は、日本国憲法を支持している。(基本的には)
日本国憲法の三大柱の一つである、「国民主権」を支持している。
国民主権。それは、言ってみれば、
我々国民は全員徳川家康の正当な後継者である
(別に藤原道長でも天智天皇でもルイ14世でもいいが)
ってことだ。
我々は、権利を与えられている。誰が与えているの?と言ったら、やっぱり主権者である我々国民が与えているに他ならない。
そして、国民は、権利を与える以上、権利を与えるコストとして義務を果たさなければいけない。
そういう国民主権の視点が、すっぱり抜けているように見えたので、僕は賛成できなかったのだ。



重ねて言おう。
僕のことを「無知」だの「政治に興味がない人間」だの言うからには、答えてもらいたい。
あんたは、僕の知らない何を知っているんだ?
教えてくれよ。
くれぐれも、「そのような問いを発すること自体分かってない証拠」みたいなメタ発言とか、「権利の大切さが分かってない」とかの抽象論で逃げるなよ。



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外国人参政権のメリット/デメリット(本音編)

ええと、前回は、外国人参政権の是非について、「メリット/デメリットで測るのは良くない」
という意見を批判しました。


前回の繰り返しになりますが、民主主義社会である以上、

政策には、メリットとデメリットがある、ただそれだけです。

それ以上のものがあってはなりません。

「メリット/デメリット」を超越した「絶対的なもの」を持ち出すと、


政策は政策でなく、宗教になり、カルトになります。


まあ、もしかしたら「正義」なんつーものから最も遠い立場にあると言っていいかもしれない政治家どもが政策を持ち出す以上、
そこには必ず「メリット」とデメリットはあるんですが。



さて。
今のところ最も外国人参政権に力を入れているように(僕の中で見える)民主党は、
外国人参政権を通すと、どのようなメリットがあると考えているのでしょう?



答え。
民主党の票が増える。



それだけ?
ええ、それだけです。


それ以外の物があるとでも思っていたんですか?


政策に一切興味がなく、頭の中にあるのは「選挙に勝つこと」それのみで、
しかもそれを全く恥じることがなく、むしろ「選挙以外に興味がない」ことをアピールしているような人物
が党内の最高権力者である政党が、それ以外の理由で政策を通すわけがないでしょう?


極めて単純な話。


まあ、在日外国人が民主党に集まるのは仕方がない。

二大政党のうち、一方(自民党)が「保守政党
を自任している以上、マイノリティがもう一方の方に集まるのは、自然なことで、
このこと自体は何も問題はない。


公明党外国人参政権に熱心だが、これも仕方がない。
創価学会に在日の信者が多いのだから。
在日も投票できることになるのなら、
より一層創価学会の組織票か強固に協力になるのだから。


自民党国民新党外国人参政権に反対するのも、これは仕方がない。
民主党公明党の票が伸びるということは、
それは相対的に自分たちの票が減るということだ。
そんな自分で自分の首を絞めるようなことを政治家がするわけがない。


問題は、これらの力学をさも無かったかのようにして、
この問題を論じようとする無意味さだ。


なんか、「世界正義だどうたら」「愛国心がどうたら」「乗っ取り計画がどうたら」
とか意味不明なことをのたまう人たちがたくさんいるけど、
少なくても国会では、これ以外の観点は全て二次的なものだ。
これ以外の政治家がしゃべること全ては、一切が単なる建前に過ぎない。
政治家が興味があることはただ一つ、「票が増えるかどうか」だけである。


ここから目をそむけちゃ駄目だと思うんだ。
外国人参政権の是非」をいくら一般人が熱く語っても、
その熱い語りを政治家が(建前として利用することはあっても)真剣にとらえることは一切ないのだがら。


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