民主主義と全体主義    その3

やっとネットが復旧しました。


毎日更新する予定だったのに…ぶつぶつ。


さて。



日教組集会拒否で賠償命令


 日教組と傘下77単組、組合員1889人が、教研集会の会場使用や参加者の宿泊を契約後に拒まれ、集会や言論の自由を侵害されたとして、プリンスホテルや役員らに計約2億9千万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は28日、請求全額の支払いと全国紙への謝罪広告掲載を命じた。河野清孝裁判長は「ホテル側の一方的解約には法的根拠がなく、債務不履行は明らか」とした。




こんなニュースがありました。
ネット上では、「日教組が悪い!悪い日教組に敵対したプリンスホテルは正しい!だからこれは不当判決!」
みたいな論調が大多数を占めています。



でも、それっておかしくない?



この判決、論旨は非常に簡潔です。




以上のような論理により、判決では全面的に日教組の勝訴となっています。


正直、↑上の論理にケチのつけどころはないと思うのだが、ネット上では裁判所への攻撃が鳴りやみません。


だいたい、この判決を批判する人間はこういう思考回路を持っているらしい。




この世は善と悪に分かれる。
中間は存在しない。
日教組は悪である。
とゆうことは、日教組と敵対しているプリンスホテルは善である。
善が悪に何をやっても、それは正義の行為である。
よって、裁判所の判決はおかしい。



↑こういう理由で、ネット民たちは裁判所を中傷している。


しかし、僕はこういう考え方に与しない。
日教組はいろいろ問題があるだろう。
そりゃ、「悪」と言ったっていいかも知んない。
しかし、日教組には日教組の言い分と存在意義と信念があるのであり、
別に日教組は悪いことをするために悪いことをしているのではない。
「悪いことをするために悪いことをする団体が存在する」
と思っている人間は幼児向けアニメの見すぎである。
なので、日教組を批判するのなら、日教組がやっている悪事を批判すべきであり、
日教組へ制裁をするのなら、きちんと法に従った形でするべきである。
「悪へは何をやっても正義」なんてことはありえない。
100%の悪人なんて存在しないし、100%の悪事なんてものも存在しない。
どんなものでも、良い面と悪い面がある。



これでも納得しないのなら。
例えばなしとして。



ある場所で、教師が暴漢にナイフで殺されました。
警察が身元を確認したところ、その教師は組合費を払っていることが分かりました。
つまり、日教組の構成員です。
なので、警察は、「日教組を殺すことは正義!」と判断し、その暴漢を逮捕せずに
捜査を打ち切りました。



↑こんな話だったらどうだろう?
これなら、「いや、それは警察がおかしいだろ…」って思ってくれる人、いるんじゃないだろうか?



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