映画 靖国 について 1

一度は対話全面拒否モードになりましたが、なんかもしかしたら対話可能なんじゃないかって思いが少しだけわいてきたので、も一度対話を試みてみようかと思います。
良かったら読んで下さい。



つっても、思いが沸いたのは少しで、正直な話8;2くらいで徒労になる可能性が多いと思ってるんだけどね。
ああ、僕も甘いなあ。
まあ、いいや、2割も可能性があるんなら、相当高いだろ、いつものことを考えていうと。




つーわけで。
本題に入る前に、
まずは僕の立ち位置をはっきりさせて置きます。


前にも言いましたが、

僕は靖国神社参拝反対派です。


なぜかといえば、靖国神社はカルトだからです。

だってこんなことしてるんだぞ?

蘘國神社 遊就館での上映が決定! H20/3/6
映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」が、蘘國神社遊就館にて上映されることとなりました!


「尊氏のくーちゅーふゆー」のビデオ見せてる宗教とどこが違うわけ?


別に宗教なんだから、死後の世界だとか、この世に見えない神様の世界だとかは自由に語っていいと思います。
ただ、現実にあからさまに反することをさも真実のように語る宗教はカルトでしかない、
そう思います。



みなさんご存知の通り、「南京の真実」は主張の内容から映画の監修の先生から作成費用の収益状況まで、徹頭徹尾捏造です。
前にも言ったけど、靖国に奉られている一人、松井岩根氏の遺志を根源から陵辱する内容でもあります。
僕は、日本のために死んでいった人たちには感謝しているし、いつでも追悼の意を述べたい。
英霊には本当に何を言っても薄っぺらくなるくらい、敬虔な気持ちでしか望めない。

そして、

こんな事実を歪曲するような宗教で、英霊たちを奉ってほしくない。
こんな遺志を捏造するような宗教を通して、英霊たちに感謝したくない。
こんな日本人の意思を代表しない宗教に、国民の代表が参拝するべきではないと思う。



これが僕の素直な靖国神社に対する気持ちです。






そして。


李纓氏が「靖国」を撮ったと知ったときの僕の正直な感想。



正直、あんまり歓迎したくないなと思った。


もし「靖国」が靖国神社を賛美するような内容なら、
僕は彼に対して批判をしてはいけないだろう。
中国人が靖国を賛美するということは、彼は靖国を日本の象徴として切り取っているのであって、
そのような行為は親日的心理から行っているのであり、その中国人を批判することは
人の道としてもはずれるし、国益にも反する。
といっても、僕は靖国に対して反感を持っていることは確かであり、あまりおもしろくない。



もし「靖国」が靖国神社を批判するような内容なら、
さらに最悪だ。
中国人が靖国を批判するということは、必ず「日本VS中国」のような構図に無理やりなり、
日本を代表する靖国神社を中国人が攻撃する、ってことになって、
靖国神社を支持しない多数の日本人のことは「無かったこと」にされるだろう。
しかも、靖国神社の是非は日本人が決めることであり、外国人がとやかく言ってはいけない
外国人には日本の宗教を批判する資格なんて無いのであり、「反靖国映画」を外国人が作ったのだったら少なからず僕はその映画に反感を覚えるであろう。



まあ、そういうわけで。
直接見たわけじゃないけど、「靖国」が靖国神社を賛美する内容でも批判するような内容でもないってことを知って、とりあえず安心した。
中国人が取ったドキュメンタリーとしては、ベストの形だと思う。

ただ同時に。
その映画を見る気は全く無くなった。
だってつまらなそうじゃん。
賞賛やら毀損やらを激しくされる対象を、
いっぺんは賛美する立場でとり、観客を賞賛する人らにシンクロさせる。
いっぺん賛美に観客を賛美にシンクロさせてから、今度は逆の立場でとり、観客を批判にシンクロさせる。

まあ、そういう構成のドキュメンタリーは多いと思う。
一方的な立場から見るでなく、多角的な立場を紹介し、自分の主観を告げるでなく
立体的に考えさせるという手法は、高尚であり、文明的であり、客観的である。
おそらく、文化的な賞などにはもてはやされることだろう。

ただし、つまらない。
難しい顔した評論家のおっさん方には大うけするだろうけど、
そういうメッセージ性とか文化性とかをいれた映画は、たいていつまらない。
正直、そんなことせずに極端な主張を真正面からやった方がまだ刺激的でおもしろいと思う。


だから、僕はニュースでこの映画の存在をしっても、特に見たいとも思わなかったし、興味も持たなかった。
稲田先生が行動を起こすまでは。



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