どうして一票は平等なのか

「今回民主党が勝ったのは国民が馬鹿だからだ」
「民主主義は衆愚政治にしかならない」
「我々のように一生懸命国のことを思っている人間とテレビしか見ないアホと同じ一票なのは間違っている」
なんつー意見が結構あるので、ちょっち考えてみたい。


なぜ一票は平等なのか。


ちょっと前まで、
「政治の事をよく知らない一般人は政治のことをよく知っている賢人にまかせるべきである」
という意見によって構築された政治体制の大国があった。
その名をソビエト連邦という。
一般ピープルのなかで頭がよかったりよく政治を知っている人間だけが共産党員になれて、
その共産党員の中でさらにエリートが幹部になれて、その幹部の内でも一番優秀なのが国のトップに収まる。
こういう理念のもと、ソビエトは動いていった。
確かにこの方法なら、盧武鉉安倍晋三みたいなアホが国のトップになることは絶対にない。
しかし、結果はみなさんご存知の通りだ。
どう見ても、民主主義国家のトップと非民主主義国家のトップを比べると非民主主義国家のトップの方が遥かに頭が良いように感じられるのだが、それでも
政治形態としてうまくやっていけているのは民主主義国家なんだ。


「優秀だったり政治の事をよく知っている人の一票を尊重するべきである」という意見によってなされる政治機構の内、問題になるのは
「どうやって優秀とか政治の事を知っているのか判断するのか」っていう問題である。
それを間違えるとスターリンを選んだりヒトラーを選んだり(まあヒトラーは初めは民主的に選ばれたんだが)しかねない。
んでもって、やっぱ思うのは、「人を見抜く力と知識量は関係ない」って事なんだな。たぶん。
例えば、僕は、政治についてたぶん一般人より多く知っている。
すくなくても、日本人の平均より多く政治の事について考えている。
んでもって、たぶん平均より頭がいい。自分では自分の事はよくわかんないが、小さい頃からずっと耳にタコができるほど「頭いいね」って言われ続けてきたから、きっとそうなんだろう。
んでも、僕がすごくいい人だと思ってた人が詐欺師だったりしたから、多分人を見る目はないんだろう。
うちの母は、電話かけると声聞いただけで「ん?元気ないね。もしかして今日××でもあった?」とか当ててくるんだな。
そういうの聞いて、「え?何で分かるの?超能力でも持ってるの?」とか聞いても、「ふふん、母はすごいのだよ」と返ってくるんだ。
それ聞いて、「母ってすげえ〜」とか思うんだ。やっぱ。
僕には理解できない超能力を持ってるんだ。
うん。
それとか、テレビ見てて僕がちょっとインテリっぽいことを言うと、母は言ってくるんだ。
「あんたって、身の周りの事はできないのにどうしてそういう難しい事とか分かるの?」とか。
んでも、僕にとっては洗濯機の音を聞いてどこが悪いのか分かったり、スーツを皺なくたたんだり、そんなことの方がよっぽど難しいんだけど。
むしろ、何でそんな難しい事はできるのにベクトルとか分かんないの?としか思えない。うん。
もしかしたら、僕のそーゆー能力は他の人から見ると超能力みたいなものなのかもしれない。
「目を見ると嘘を言っているか分かる」とかいうじゃん。あれ、僕には絶対無理なんだよね。
むしろ、漫画だけの話だろ?としか思えないんだよね。
でも、超能力みたいな力で僕の嘘を見抜いてくる親とか見ると、「ちょっとしたら本当なのかもね」って思う。
まあ、とにかく、IQがどうとか、知識がどうとかってことと、「人を見抜く」ってことは関係ないって事だ。
前に「知」と「情」の話をしたけど、「「情」は「知」より劣るという気か」なんて批判されたけど、そんなことはない。「情」はとっても大切なことだと思う。
んでも、やっぱ「知識」ってのは、一つの大きな武器にはなるんだよな。きっと。
例えば、遺伝子に対する知識が少しあれば、
Y染色体とか言っている人間がどれだけトンデモかってこと、
そんなトンデモ人間をブレーンにしている総理大臣がどれだけトンデモかってことくらいは分かる。


んで。
「それでも知識がある人間>知識がない人間ってのは明らかだろう?」
って言うのがあるかも知れんけど、それも危険っていっちゃ危険なんだよ。
物の例えとして、こういう「知識」があるとしよう。中学生くらいの数学の話。



b=2とする。
b×b=4,3b-2=4だから、
b×b=3b-2である。
両辺から同じ物を引いても等式は成り立つから、同じ物(2b)を引いて、
b×b-2b=b-2
左辺を因数分解して、
b(b-2)=b-2
両辺を同じ物で割っても等式が成り立つから、両辺を(b-2)で割って、
b=1
これにb=2を代入すると、
2=1になる!よって2と1は等しい!



上のような話があったとする。
もちろん、これには致命的な間違いがあるので、こんな結論は成り立たない。
しかし、中学生くらいには、一見論理展開はどれも正しいように見える。
しかも、中学生くらいはこんな珍妙は結論が大好き(いわゆる中2病)なので、友達なんかに「2と1は等しいんだよ」とか言ってみたくなる。
んで、「そんなわけねーだろ、馬鹿」とか言われると、「ふふん、何も分かってないなあ。実は〜で、〜だから、正しいんだよ」とか↑のような論理を振りかざしたくなる。
実は、何も考えずに直観で「そんなわけねーだろ」って言ってる方が正しいのだが。
政治の世界でも、「実は我々の知っている歴史は在日と左翼が捏造した嘘の歴史だったんだよ」とか、「実は日本は悪の帝国で正しいのはソ連なんだよ」
とか言われても、直感で「そんなわけねーだろ」って思っても、つらつらつらとそれらしい理屈を聞かされると、「なるほど」と納得してしまいがちになる。
人間っつーものは、何も考えずに直感だけで導いた結論より、苦労して導き出したり理解した答えの方を信じたくなるものだ。
「知識」ってのは、あって損はない気がするが、知識を持っていた方が目を曇らせることも絶対にある。
ぶっちゃけた話、これは結果論だけど、マルクスレーニン主義の中身を知っている人間と全く無知な人間では、無知な人間の方が正しい結論を出していた。
理論を知っていれば使ってみたくなるのが人間というものだから。
しかし、「この知識は知らない人より知っている人間の方が良い判断が出せる知識。この知識は知っている人間より知らない人間の方が良い判断を出せる知識」
なんて決める権利は誰にも無い。
だから、知識のある人間でも知識の無い人間でも同じ一票を持っているんだと思う。


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