コメント欄の無いブログは信じるな

ブログを比べて、「どれが正しいか分からな〜い」って人に授ける一つの指針です。
タイトルの通りです。
コメント欄の無いブログは信じてはいけない。
(政治家が実際に書いているブログは除く)
※ここで注意してほしいのは、「コメント欄があれば信じていいというわけではない」っつうことです。
コメント欄があってもく〜だらないことしかかいてないブログとか、き○○い言説しか書いてないブログとかもありますから。
「博士の独り言」「太陽の帝国」等は、都合が悪いコメントがあるとすぐに消します。
残るのはYESマンコメントのみ。
「お玉おばさん」はわざと頭の悪そうな「自称反論」をのっけたり、初めだけ反論させて
後はキチガイコメンテーターに罵倒させまくってさも「論破している」ようにみせかけています。
こういうのはコメント欄をつけていないよりタチが悪いですね。


さて。
「コメント欄の無いブログは信じるな」というと、必ずこういうことを言う人が出てきます。
「コメントをつけるかどうかはブログ主の自由だ」
確かにそうです。他人がやっているブログのやり方にケチをつける権利は誰にもありません。
しかし、「コメントをつけるかどうかが自由」なら、
「コメント欄をつけないブログは信じるな」と主張するのもまた自由
なのです。


コメント欄が無い言い訳の一つに、「コメント欄があるとネット右翼に攻撃される」
というのがある。
しかし、これはおかしい。
「攻撃」ということは、「コメント欄に書き込まれることでブログ主はダメージをうける」
ということだ。なぜダメージを受けるのか。
それは、「文章の信憑性が下がって見えてしまうから」という理由だろう。
しかし、コメント欄にごにょごにょ書いてあるだけで信憑性がなくなってしまうのなら、そんな文章を書く方が悪い。
読者が文章本文を読んで、「コメント」を読んで、「ふむふむ、これはコメント欄の言っている事のほうが正しいな」って思ったのならそれまでの話だ。
説得力のない文章を書いたブログ主が間違っている。
「いや、読者は馬鹿だから私の書いた文章の崇高さがわからずに低俗なコメント欄の方をしんじてまう」
はあ?読者馬鹿にするなよ。
だったら初めから書く意味なんて無いだろう?
僕は読者を信用している。
馬鹿が馬鹿なコメント書いてブログを貶めようとしたって、本当に「なるほど、このブログに書いてあることは嘘だな」って思うような人は(まあそういう人がいないとは言わないけどさ)初めから相手にしていない。
分かる人にだけ分かってもらえればいい。
もちろん一人でも多くのひとの分かってもらいたいが、多様な意見がある民主主義社会では全部の人にわかってもらうのは不可能だ。
そんなことより、コメント欄の双方向性を大事にしたい。


あ、「コメント削除」は全くかまわないと思う。
無礼なコメントとか、荒唐無稽なものとか、見るだけで不愉快になるコメントとかあるから。
そういうコメントは削除して全然かまわない。
僕のコメント欄でも「sadatajp」とか「柳生すばる」とか「かげまる」とかは本当は削除するべきなんだと思う。
でも、削除しないで残してあるのは、僕の一種の「意地」みたいなものだから。
普通は消す。
でもそれと、「都合の悪いコメントを消す」という行為は全く別のものだ。


結論。
「コメント欄が存在しない」ということは、嘘を書いてもばれない、ということです。
そういうブログに書いてある情報は、一切信用してはいけません。(裏を取りましょう)
「考え方を提示する場」としてはありかも知れませんが、でも変な理屈でも分からない、ということでもあります。
確かにコメント欄をつけるとブログ運営は大変になるかもしれない。
でも、僕は今まで苦労してきたんだから、言う権利はあると思う。


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