学校間格差の何が悪い

「学力の底上げ」こそ図れ

 神奈川県教育委員会は大学進学実績を上げるため、県立高十校を「学力向上進学重点校」に指定した。受験競争の過熱化や学校の序列化への警戒もあり、これまで進学重視の姿勢をことさら示すことを避けてきた県教委にとって、大きな方針転換といえるだろう。


 学力低下が叫ばれる中で、「確かな学力向上の取り組みが求められるため」というのが、県教委の言い分だ。重点校に対しては進学実績の数値目標の導入も視野に入れ、目標達成のために一定の予算面での優遇も検討中という。


 確かな学力を伸ばすことは必要だろうが、重点校とそれ以外の高校との格差をつけるやり方が、県立高全体の学力を伸ばす弾みになるとは思えない。むしろ学力の二極化を押し広げてしまう。


 この数年、県立高は学区撤廃、入試制度の変更、再編統合など大きな「改革」が相次いだ。そのつど学校現場などから「競争激化や序列化につながる」との批判が出ていた。これに対して県教委が声高に掲げたのは、学力という一つの物差しでは見ない「特色ある高校づくり」の推進だった。


 だが、特色づくりが過度の競争や学校の序列化を抑止する有効な手段になり得るだろうか。大学の入試制度に変動がない以上、多くの生徒やその保護者は、進学実績で高校を選びたがるのが現実の姿だ。進学重点校を指定すれば、その高校に注目が集まり、学力以外でカラーを出そうとしていた高校が色あせてしまいかねない。


以上、神奈川新聞。


結構、色んなところで「学校間格差を広げる気か」とか「学校間格差ができてしまってはいけない」とか、さも「学校間格差が悪い」というのが前提になっているような意見がでますが、



高等教育においては、学校間格差なんて大きければ大きいほどいいんです。


当たり前でしょう。その方がよりきめ細かい教育、生徒に合った授業が受けることができるんだから。


僕は小中高大とすべて公立でした。
小中学校はそのまま家に一番近い学校、高校は受験していわゆる「地域のトップ校」に進みました。
そこで驚愕っていうか、ショックだったのは、
まず授業についていくために勉強しなくてはならないこと、
それから友達と勉強の話ができること、でした。


中学校では授業といったら、睡眠タイムか、教科書に落書きして遊ぶ時間、という認識しかありませんでした。
だって他にやること無いんだもの。友達と話すとかゲームボーイとかすると怒られるし。
別に授業聞かなくても勉強なんて全然しなくても余裕で学年一位取れるし。
(って聞くとムカつくかもしれませんが)
よく「優等生は授業中真面目だ」って言うけど、あれは嘘だ。優等生ほど授業中不真面目な奴らはいない。
宿題に問題集とかやらされたけど、おもいっきりやった振りして答え写してたし。
(もちろんわざと所々間違えて写してるのがばれないようにする心遣いも忘れない)
しかも、勉強できない奴はそういうことを心の中で悪いことだと思ってやっているのに対し、
勉強できるやつは宿題の答え写すのを何も悪いことだと思っていないので余計にタチが悪いかもしれない。


話がずれたけど、とにかく高校に入って「授業を聞けば勉強になる」というのはショックでした。
それまでは、勉強をするという概念と授業を聞くという概念は全然別物だと思っていたから。
あと、中学校では勉強の話を友達に聞くと、「は?そんなのお前に分かんないんなら俺にわかるはずないじゃん。馬鹿にしてんのか?」とか言われるに決まっていたので、勉強の話を誰かに聞く、ということが無かったのですが、
(というか「勉強の話を友達に聞く」という発想自体が無かった)
高校に入ってその辺の人に聞けばそれなりの答えが返ってくるのが、すっごい驚きでした。


どっかの誰かが言うように、学校間格差がない状況だったら、おそらく高校も中学と同じ状態だったでしょう。
授業中は意味の無い話を延々と聞かされて、やりたくもない宿題を押し付けられ、勉強はそれらの余った残りの時間でやるしかない。相談できる人は皆無。
しかし、学校間格差があったからこそ、授業を聞くだけで勉強になるし、友達に気軽に聞ける環境だったんだと思います。
なぜなら、県中の「ああ、こんな授業聞いている意味ないよなー」って思ってるやつらを集めてきて授業するんだから。
その上、高校はとっても楽しかった。
「勉強ができる奴は人格上つまんない奴が多い」っていう話、あれも嘘だ。勉強できる奴は色々な事に興味があって、面白い奴が多い。
政治の話とか、絶対に進学校以外でできないだろう。


別に勉強ができる奴の話だけじゃない。勉強ができない奴だって、普通の授業は意味不明だろう。
授業が苦痛でしかないだろう。そういう人間を集めて、親切に分かりやすい授業を進めていくことは、お互いのプラスになるだろう?
絶対、授業は受けている生徒のレベルが近い方が教師も楽だし、生徒も役に立つんだよ。
「学校間格差」が大きいってことは、「学校内格差」が少ないってこととイコールなんだから。
学校間格差が無いままで、役に立つ授業をやろうとしたら、一つしかない。


「成績順にクラス分けすること」


実際に入試方法がイカレていて学校間格差が無いところではやっているところがあるらしい。
でも、実際にそういう学校をでた人の話を聞くと、 「先生の態度が勉強できるクラスとできないクラスで明らかに違う」「クラスの人間が来年のクラスを争うライバルになるので仲良くなれない」
とかよく聞く。
「そんな事無いよ、みんな仲良しだよ」って言う奴もいたが、そいつの場合、そいつ自体の人格が壊れ気味
だったので、一応考えに入れないでおく。
要するに、学校ごとに学力別になってた方がよっぽど差別意識、競争意識なんて生まれないだろう、ってことだ。


学校間格差を無くすことによって無くなるのは、勉強だけじゃない。
学校間格差があるからこそ、野球留学当たり前の私立に対抗できるような公立の強豪校ができたり、ユニークな部活ができたりするんだろう。



「トップ校に入れなかったことによってプライドが傷つく」? そんなちっぽけなプライド捨てちまえ。勉強しなかった方が悪いんだろうが。
「進学重点校を指定すれば、その高校に注目が集まり、学力以外でカラーを出そうとしていた高校が色あせてしまいかねない」?  そんなくらいで色あせてしまうくらいの薄っぺらいカラーなんぞ必要ない。


今まで神奈川県(だけじゃないけど)の公立高校は、ひたすら学校間格差を無くそうとして、結果「県下一律馬鹿高校状態」になってしまった。
大学入試への高校を作ることが望ましいとは思わないが、まともな教育を作るためには仕方の無い措置だったと思う。


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