ブログというもの

いっぱいツッコミコメントもらいましたが、blogランクもそれなりに伸びているよう(至上2度目の50位以内)なので、それなりには支持されているんだーと思っておきましょう。


また葵さんが何か書いてるみたいですう。

『ケンカ』(苦笑)
出せないソース


なんというか…
批判するのなら、論理的にしてくれよ。
文章に論理とか理屈とかがまるであったものじゃないから、反論すらできん…
一つだけいいか?

「貴方はエリートですか」の言葉の裏に自分はエリートだからという驕りが見える。

については、僕の過去のエントリ自分で「俺はエリートだ!」なんて言ってる奴なんているわけ無いだろ をお読み下さい。


まあいいや。それ以外は別に僕は反論しない。
なぜ反論しないか。
それは、「反論するとはどういうことか」ということと関わってくる。
「反論する」という事は、反論する相手(この場合葵さん)の言うことが間違っていて、僕の言うことが正しい、と第三者(つまりこのブログをみてくれるひと)にアピールすることだ。
葵さんの文章を読んで、「フムフム、確かにそうだ」と納得する人がもしいたとする。
そのとき、僕が反論していれば、一度葵さんの文章を見て納得した人も、僕の文章をみて
「なるほど、そういう考えからもあるのか、だったら確かにleftyが正しいな」
と考え直してくれるのを期待した文章、それが「反論」だ。
つまり、第三者が葵さんの文章を読んだ時にはとっさには浮かんでこない葵さんの間違っている点をわざわざ指摘する必要があるときにのみ、「反論」というものは存在する。
この場合、第三者が葵さんの文章を見て納得する可能性は極めて低いと僕は判断したから、僕は反論しない。
これをスルーと言う。
なぜこんな事言い出したかと言うと、僕のコメントなりトラバなりに対するスタンスを表明するいい機会だと思ったからだ。
僕は否定的なコメントが来てもほとんどコメントを削除しない。
そのコメントが結構説得力があるように見えて、第三者がそのコメントに同意してしまう危険性があれば、僕は反論する。
その危険性がなく、第三者も僕と同じ気持ち(つまり何言ってるんだコイツは?という気持ち)になると判断すれば、僕はあえて反論しない。
つーわけで、僕の意見に否定的なコメントをつけても反論されない人は「スルーされた」と思ってください。
「ふん、逃げたんだな」と思ってもらっても結構です。
あなたの文章が正しいかどうかを判断するのはあなたではありません。


僕がコメントを削除しないのは、一つは、「コメントを削除するのは負けを認めること」だからだ。
コメントを削除すると言うことは、そのコメントに対して「すみません、反論不能です。参りました〜」と宣言しているのと同じだ。
要するに自分の文章よりもそのコメントの方が勝っている、そのまま放置しておけば自分の文章の方が負けてしまう、だからそのコメントを削除して自分の優位性を保たねば
と表明することなんだ。
だからコメントを認証制にしている人は、要するに自分に自信がないんだと思う。
最初から実質的にコメントを削除する人は、つまり最初から「自分の負け」を見越しているのだから。
そういう人に向かって、「自分の発言には責任を持とう」という話をしても確かに理解できんかも知れない。
反省。


それにしても、このブログの「売り」って、「発想、着眼点のユニークさ」と「論理性」だと思ってたんだけど、葵さんには違ったんだろうか。
ただ、「反社民党」って言う点が快かっただけなんだろうか。
僕は、このブログ、自分では結構おもしろいと思ってる。
なぜなら、どこの誰も似たようなことを言っていないからだ。
文章のおもしろさって言うのは、その文章のビックリ度に比例する。
つまり、その文章の言っていることが意外なほど、少数意見であるほどおもしろい。
その点においては、このブログ結構いい線言ってるんじゃないかと思う。
他のどのサイトを見ても、この発想はでてこないわってのがウリのつもり。
でも特に政治系ブログでは、世の中を「敵」と「味方」に分けて、「敵」と見なせば徹底的に罵倒するし「味方」と見なせば応援する、っていうスタンスがとっても多いように思える。
大体
中韓は敵→中韓に味方する奴は全員敵、中韓を敵視する奴は味方→敵は死ね!味方は生きろ!
のパターンが6割、
自民党は敵→自民党に味方する奴は全員敵、自民党を敵視するやつは味方→敵は死ね!味方は生きろ!
のパターンが1割、
残りが3割ってとこだろうか。
そういう「敵」「味方」属性の人には、このブログ受け付けないと思う。
このブログは人類全てが敵である。今までも自民民主公明社民共産新風全ての政党にケンカを売ってきた。納得できないことは遠慮なく批判する。
同時に、人類全てが味方だ。納得できない部分は批判するが、それによって納得できる部分まで打ち消そうなんて悲しい考えはごめんだ。
僕はどのような思想でも、右でも左でも言っていることに矛盾がなくておもしろければ賞賛するし、政治スタンスが近くても遠くても言ってることがおかしければその逆をいく。
だって、つまんないじゃん。中韓叩きだけしてても。
そんなのネットに山ほどあふれてるんだし。


あと、僕が東大だといってるのは、ブログを「情報提供の場」とも考えているからだ。
葵さんの文章からは、やはり東大への敵愾心がひしひしと伝わってくる。
顔を晒し、本名で発言するブロガーに低学歴と愚弄する品性の無さ。
してねえし。そんなこと。
自分を博士とか東大生とかノタマウ奴にロクなもんが無い。
なるほど、この人の脳内には東大にはウソツキとロクデナシしか存在しないらしい。
そもそも、この騒動(?)の発端の僕の文章に東大全く関係ないし。
こういうの「江戸の敵を長崎で討つ」っていうんじゃないの?
やっぱ、「東大」って敵なのね。
江川達也とか宮崎哲哉とかが東大や東大出身者を罵倒すると、人は喜ぶ。
そういう時、東大に在籍してる人間はやっぱむかつくし、悲しくなるって言うことは東大に縁がない人(の一部)にとっては「おもしろい情報」なんじゃないかなって思う。
根拠もなく「東大だから」って理由だけで馬鹿にされたり悪者にされたりしたときに「は?なめんじゃねえ、このクソが」って思うけど荒波を立てないために「どうもすみません」って言ってるけどやっぱり「このクソが、低学歴だからっていばるんじゃねえよ」って思ってるってことは、無意味じゃないと思える人には無意味な話じゃないと思う。
まあ「匿名だから言えること」ってのは、その通りなんだけどさ。
匿名じゃないのなら、そーです、東大は全員ロクデナシでーす、としか言えないさ。
でも、本音だから言える情報ってのも、あると思うから言ってるだけだ。
僕が関わっている団体なり機関の中で、そこそこ特殊性があるのって、大学くらいだし。


結論としては、このブログは
初めて聞く意見だけど正しい。だからおもしろい
をモットーにしています。
東大を出したのは僕が出せる少数派としての立場だからです。
なぜ少数派の立場が必要かというと、少数派の立場の意見はおもしろいと思うからです。


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