続 教育におけるゆとりとは

いささか古いニュースなのですが

海陽学園文科省キャリア派遣 官民交流法に抵触の疑い

 「エリート養成」を掲げる中高一貫校海陽中等教育学校」(海陽学園)が来春開校するが、学園に出資するJR東海文部科学省が現職キャリア官僚を「社員教育制度の現状把握と指導」という名目で1年間派遣し、実際には学園の開校準備の実務に当たらせていたことが分かった。人事院は「官民人事交流法に触れる疑いがある」と指摘している。文科省はこの時期、ゆとり教育を完全実施したが、水面下ではそれに批判的な有力企業の私立学校開設に協力していた。
 海陽学園トヨタJR東海中部電力が出資。定員120人の男子全寮制で、愛知県蒲郡市に開設する。
 現職官僚は国の官民人事交流制度で03年1月に派遣された。同省人事課の文書によると、JR東海は「社員研修を進めるために教育全般の制度に精通した人材」の派遣を要請。同省は「企業の人材育成に携わり、民間理解を深めさせる」と承諾した。
 ところが、派遣された官僚は、校地選定や県への設置許可申請など学園開設の実務全般に参画。渡英して学園が手本とする名門私学イートン校なども視察していた。
 派遣された現職官僚は「上から言われた仕事をやっただけです」と話す。文科省人事課は「学校設置で(JR東海に)助言を求められ、対応したこともあると聞いている」と事実を認めている。


(以上、毎日新聞)

海陽学園」はすでに開校されていますが、こいつは相当問題なことだと思います。
文部科学省は何をやりたいのか本当に分からないのですが、私立学校に官僚を派遣?
しかも相手があの海陽学園海陽学園ですよ?


ちなみに海陽学園というのはこういうところです。

トヨタJR東海中部電力などが出資してできた「真のエリートのための」全寮制男子校。

鳴り物入りで登場して一時期教育産業を非常に騒がせたが、その素晴らしき教育の内容は
学費は年300万円
生徒全員にノートパソコンと携帯端末が与えられる。携帯端末は、校内の買い物に使う電子マネーや位置情報、緊急通報など多機能だが、事前に登録した8件のみの着信専用で買い物の中身や校内のどこにいるかまで把握もできる。
校内には無線LANがあるが有害サイトにはアクセスできない。
漫画、ゲーム、オーディオ、カードゲーム、フィギュア、自転車、スケートボードなど娯楽用品はほとんど持ち込み禁止。
音楽CDは5枚まで。
学習参考書以外の本は10冊まで。
個人の携帯電話も禁止。生活の中心は「ハウス」と呼ばれる寮で行い各棟の一階には寮の管理人である「ハウスマスター」が住んでおり、各フロアにも出資企業から一年交代で派遣される若手社員が常駐する。
ハウスの門限は午後6時だが、外出は厳しく制限され、週末の帰宅は保護者の迎えが必要。


すげーだろ!
「軟禁」つーか「監禁」と言った方がいいような拘束のされ具合。
これ本当に6年間続けたら感情という物がなくなりそうな気がするんだが。
全寮制で持ち物や本や買う物も検閲されるってことは中高生の男子にとって生きて行けないほどの苦痛だと思うのだが、そういうのはどうするんだろ?
さすがトヨタですね。
こんなSFの中のソ連のような超管理社会の中で勉強だけに集中させる学校を支援しといて、もう片方で愚民化政策のゆとり教育を推進する文部科学省って、本気で何を考えているんだろう?

本当に
学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら”どうせ俺なんか”で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。
平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカヨーロッパの点数は低いけど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが”ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」


これを地でいくつもりなんでしょうか?


何度でも言うが、「機会の平等」は絶対に守られなければいけない。年間300万円の支出ができる人間のみがエリートになり、ほかの人間が支配される人間になるというのは絶対にやめなければいけない。
「現実みてない」とか「平等なんてありえるわけないだろ」とか言われるけど、絶対に機会の平等は守らなければいけない。
だから意図的に公教育を破壊するなんてあってはならない。
それは確かに信念的なものがまずあるが、それとともに、「優秀な人間を的確に選別できない国家は滅びる」という実利的な側面も真理だろう。
一部の特権階級から出た人間しかエリートになれない時代になると、確実にエリートの数が足らなくなる。
だってもともと数が小さいんだもの。
全ての国民から優秀な人材を拾ってこずに一部の人間からしかエリートを出せないとなれば数が足りなくなるのは当然だ。
しかも、海陽を出た人間が使える人間になるかって言えば疑問符がつくだろう。
正直、「人格が欠落しているけど仕事は超優秀なエリートが国を造る」なんてのはSFだけで通用する考え方だと思う。
だから海陽出が使えるとは限らないし、それで公立出をわざと使えないようにしているのなら、本気で日本は終わるぜ。
石油も鉄も金もダイヤもない技術立国日本が世界に誇れるのは「高い教育水準」だけだ。
技術がなくなったら、日本は貧困になって活力がなくなり、民衆の不満をはけ口を求めて内乱がおき、長い暗黒の時代に突入するっていうのはそこまでぶっ飛んだ想像じゃないだろう。


とはいったものの、僕は実は「ゆとり教育」って批判したくないんですよ。
いや、批判はしたいんだけど、しちゃだめかな、と思うんですよ。
まず考えてみてください。
ゆとり教育を一番真っ向から批判している勢力と、ゆとり教育を一番喜んでいる勢力って実は同じ勢力なんですよ。


どこだと思います?


そう、塾産業ですね。塾産業は基本的に公教育がダメなほど、公教育の実体とニーズがかけ離れているほど儲かる産業だから、当然学力低下とか騒がれるのは諸手をあげて喜ぶべき事態ですよね。
それで、さらに学校の評判を落とすため、公教育に対する不信を高めさせるために一斉に「ゆとり教育批判」します。
「これで公教育は死んだ!」「こんなふざけた教育現場に任せておけない!」とかメディアで叫べばそれだけ保護者が塾に流れるのを見越してのことです。
実は自分たちが一番ゆとり教育でホクホクしているのにも関わらず。
だから、ゆとり教育を批判したいんだけど、批判したら一番迷惑なのはこの逆風の中必死に努力している先生方や学校を信じたい生徒だと思うので、「ゆとり死ね」っておおっぴらにいうのはよくない気がします。


人気blogランキングへ