憲法九条教と歴史教育

ぶっちゃけた話、僕は中学生のころ憲法九条教の教徒だった。
いやあ、思い出すと恥ずかしくなりますねえ。若き日の過ちってやつですか。
だから、僕は中学生の段階からすごく高度な事を考えている中生様がすごいと思う訳なんですが。



僕が中学生のころ九条教徒のは誰のせいかってのを考えると、「ぶっちゃけ教育が悪い」。
言っとくけど自虐史観とかそういう問題じゃねえぞ。勘違いすんなよ。
なぜ僕が九条を信仰していたか。それは歴史の時間に
第二次世界大戦ではアメリカやイギリス等の西側の民主主義勢力とソ連等の東側の民主主義勢力VSドイツや日本等の独裁勢力の戦いでした。
戦いに破れた独裁勢力側は民主主義を採用し、戦後は世界中が民主主義の国になりました」
って教わったからだ。(マジな話)
ソ連が崩壊するまでずっと独裁政権だったという事実を知るのはずっと後になってからだった。


民主主義国家は交渉が決裂しても基本的に戦争をしたがらない。
なぜなら、戦争をすることによって犠牲になるのは国民自身だからだ。
民主主義国家では国の運営は国民自身が決める。兵士となり殺される危険性も十分にある国民自身が決めるのだから、結局はあまり戦争をしたがらない。
そりゃそうだ。死ぬのは自分自身なんだから。死ぬよりは多少不利でも条件を飲むさ。


一方、独裁国家はかならずしもそうではない。
独裁国家は、戦争で死ぬ人間と戦争をするかどうかを決定する人間はきっぱり別れている。
もっとはっきり言うと、為政者にとって兵士や国民が死ぬことは「目盛りが減る」事でしかないって事だ。
極端に言えば「この戦争で十万人が死ぬことになるだろう。しかしこの戦争勝って得る国益GDPで割って人数に換算すれば十五万人分になる」
という計算のもと戦争にGO!サインを出すというシビアな計算もすることができる。
確かに独裁者だからといって必ずしもこういうシビアな計算をするとは限らない。
目盛りが減ることを自分が死ぬことのように悲しむ独裁者だっているだろう。
三国志に出てくる蜀の独裁者孔明は常に民衆のことを考え必ず公平な裁きをしたという。
ただ、そういう人の痛みを自分の痛みとして捕らえられる独裁者ではない人物が現れる可能性はゼロではないだろう?



話を元に戻そう。
僕は旧東側も第三世界も民主主義国家だと教わった。
ソ連とか中国とかでは共産党一党しかないのは知っていたけど党の中で選挙区ごとに複数候補をたてて選挙やって選ばれた人が政治をやっているんだとばっかり思ってた)
「世界の国すべてが民主主義」ならば、憲法九条は本当に実行できるし、また九条を完全に実施する事が一番理にかなっていると思う。
国家間で対立が起きても即戦争になる確率はものすごく低いからだ。
民主主義国家で戦争をするには国会の議決の承認を経なければならない。対立している双方の国会で議決の承認が得られるとは思わない。
どこかで妥協が起きるだろう。
だから軍隊はいらない。
しかし、独裁国家(具体的に言えば中国や北朝鮮)では国民の支持がなくても戦争を開始できる。
「軍隊がないのなら日本を丸ごと占領しても死ぬ兵士は三千人くらい、かかる費用は三億円くらいしかかからない。この投資で百兆円の利益を得られるだろう」
(数値は適当ですけど、だいたいそんなもんだと思う)
という計算のもと、日本を占領する計画を立てる国家が現れる可能性がない、とはいえない。
絶対あるか、と言えばそれは分かんない。「そんなことしたらかわいそう」って思って行動に起こさない可能性だってある。
しかし、可能性はゼロではない以上、最悪の事態に備えるのが政治ってものだろう。
もともと自国民に銃を突きつける独裁者に「良心」っていうものを期待する方が間違っている。(独裁者には良心なんてないって言っているわけじゃないぞ)
あるかどうかわかんない「良心」に期待する事ができない以上、とるべき道は残念ながら一つしかない。
「戦争をしたら百兆円以上のダメージを与えますよ」と宣言する事だ。
独裁者だって、頭が壊れているわけではないのだから、「戦争を仕掛けるメリット<戦争を仕掛けたことによる損害」という基準が満たされる限り、戦争はしない。
だから自衛隊は必要なんだと思う。
別に歴史教科書で
「日本軍は勇敢に戦った」とか「足利尊氏鎌倉幕府に奪われた政治権力を天皇に戻すために立ち上がった」とか「豊臣秀吉とフェリペ二世はお互いをライバル視していた」
とか教える必要は全くない。むしろ、そんなデタラメを教えるな。
ただ、「冷戦とは資本主義VS社会主義というのは見せかけで、実際は民主主義VS独裁主義の戦いだった」と言うことは教えるべきだと思う。



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補足。
全く教えられていないが無限大に重要な事実がもう一つある。
民主主義国家は戦争に強い
ということ。一見、民主主義国家より独裁国家の方が戦争が強いかのように感じられる。
戦争という高度な戦略を必要とするゲームにおいて秘密裏に作戦を立てられるから相手の裏をかきやすい。
民衆に足を引っ張られることはない。「捨て駒」という有力だが民主国家においては用いられない戦術だってどんどん実行できる。
にも関わらず、ソ連VSアメリカで勝利したのは民主主議側のアメリカだった。
これは歴史が完全に証明している事実である。民主主義国家は戦争に強い。
僕が民主主義を支持しているのは、
「民主主義国家はあまり戦争をしたがらない」かつ
「民主主義国家は戦争に強い」
だからだ。
「あまり戦争をしたがらない政治形態」と「戦争が強い政治形態」が一致していたのは偶然なのか必然の結果だ
ったのかは分からない。
しかし、偶然にせよ、必然だったにせよ、これは本当に幸せなことだったと思う。


所詮世界の国同士は全て敵である。
為政者に良心とか義理とか仲間意識とか正義とか、そんな訳の分からない物は一切期待するな。
国っていうものは他国をいかに利用して自分の利益を追求するかということしか頭にない性質を本質的に持っている。
もし独裁国家の方が戦争に強ければ、結局民主主義なんて砂上の楼閣、独裁国家に占領されて蹂躙されていただろう。
僕が民主主義を支持する理由、それはあくまで「強い」かつ「強い割には戦争をしたがらない」というシステムだ。
こんな好条件のシステムが地球上に存在できたこと、そのことは幸運というよりは僥倖、奇跡だと僕自身は思っている。


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