映画 靖国 について 3

映画「靖国」について、また書きます。

今度は、稲田「徴農」朋美氏の言い訳がどこがおかしいか、について。

原本のリンクが無かったので、産経バージョンの文章で。


http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080409/trd0804090413003-n1.htm


つか、限りなく上から目線で「これを読め」とか言ってきた「ご迷惑ですが」氏や「done」氏、


なぜ僕がこの文章を読んでないという前提に立てるのか理解不能です。


そんなもん読んでるに決まってるだろ。


僕を憎んでる人は多い。
限りなく多い。
少しでも僕が変な事を言えば、たちまちその弱点をあらゆる攻撃でもって
叩かれまくって攻め滅ぼされてしまうだろう。
だから、僕は変なことは言えない。
つか、憎まれてようが憎まれていなかろうが人を罵倒するのなら、いまからする罵倒が自分の勘違いとか
考え違いであるという可能性をとことんまで思考して、
あらゆる可能性を調べてからではないといてはいけない。
それが人間ってものだろ?


なんで、その文章を僕が読んでないと思ったんだ?


そーゆー、「自分と出した結論が違うのは、その人が無知だから」っていう

わけのわかんない思い込みをするからあんたらが大嫌いなんだよ。


ええと、まず、稲田氏が映画「靖国」を見たいと言ったのは、「国政調査権」にもとずくものでした。


国政調査権ーwikipedia
国政調査権は、各院の委員会が行使するもので、一議員が自分の見たい映画を自由に見ることができる権利ではありません。
「議員なら税金の使いかたをチェックするのは仕事だろ」とか言ってる人があとを立ちませんが、


国会議員って神さまじゃないから。

稲田議員のいう「国政調査権」に法的根拠はないし、法的根拠がないものは国会議員だろうと誰だろうとやってはいけません。

何度も言いますが、日本には三権分立があり、国会議員が(担当省の大臣でも無い限り)何でも行政に突っ込んでいいわけじゃないんです。

当然の如く、担当の大臣からも叩かれています。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20080404k0000e040084000c.html

で。

 朝日新聞が報じたような「(私が)事前の(公開前)試写を求めた」という事実は断じてない。助成金を問題にする前提として対象となる映画を見たいと思うのは当然であり、映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。「事前の試写を求めた」という歪曲(わいきょく)について朝日に訂正を求めているが、いまだ訂正はない。

ええと…?
どう読んでも試写を求めていますよね。


「映画を見たいと思うのは当然」


見せろと要求した


試写を求めた


ですよね。


この理解不能な論理を説明できるのなら、ぜひ教えてください。
見たいと思うのは当然で、実際に見せることを文化庁に要求しておきながら、「試写を求めていない」ってどういうことですか?

 まず、この映画は日本映画とはいえない。振興会の助成要項によれば「日本映画とは、日本国民、日本に永住を許可された者又は日本の法令により設立された法人により製作された映画をいう。ただし、外国の製作者との共同製作の映画については振興会が著作権の帰属等について総合的に検討して、日本映画と認めたもの」としている。

 映画「靖国」の製作会社は日本法により設立されてはいる。しかし取締役はすべて中国人である。平成5年、中国中央テレビの日本での総代理として設立されたというが、映画の共同製作者は2つの中国法人(団体)であり、製作総指揮者、監督、プロデューサーはすべて中国人である。

これもまた頭がぶっちぎれそうな文章ですね。
振興会の助成要項って、「『男はつらいよ』は日本映画だけど「『ロードオブザリング』」は日本映画じゃないよね」っていうようなカンジのものを厳密に定義しただけだと思いますが、


(といっても、稲田さんの頭の中では『男はつらいよ』は監督が共産党支持者だから日本映画ではないとでもいいそうな雰囲気ですね。『砂の器』なんかも駄目だな。『火垂るの墓』なんてもっての他だな。つかこの調子でいったら日本映画なんて無くなってしまうお)


それは置いといても、要項によっても
1)日本国民によって製作されたもの
2)日本に永住を許可された者によって製作されたもの
3)日本の法令により製作されたもの
4)外国の製作者との共同製作で、振興会が総合的に認めたもの

のいずれかをクリアしていれば、れっきとした「日本映画」として認められるってことになる。
靖国」は2、3をクリアしているため、れっきとした日本映画である。
稲田先生はよくわからんイチャモンをつけているが、そんなの関係ねえ。


んで、「政治性が強いからダメ」なんて文句をつけていますが、
振興会の基準は「政治的、宗教的宣伝意図がないこと」であって、「政治性があること」自体は禁止していないのですが。
ええと、分かっていると思いますが、
この文章は「政治的がないこと」ってことじゃなくて、「政治的宣伝意図がないこと」ですからね〜。
別に特定の政党や政治団体を宣伝とする目的じゃなければ、政治性があっても問題ないんですよ〜。
つか、政治性がまったくない映画なんて、極少数だろ。 

 私も弁護士の立場から靖国神社の応援団として裁判にかかわったが、原告らは一貫して「靖国神社は、死ねば神になると国民をだまして侵略戦争に赴かせ、天皇のために死ぬ国民をつくるための装置であった」と主張していた。映画からは同様のメッセージが強く感じられる。



妄想です。


 映画の最後で、いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真が多数映し出され、その合間に靖国神社に参拝される若かりし日の昭和天皇のお姿や当時の国民の様子などを織り交ぜ、巧みにそのメッセージを伝えている。
 私は、大虐殺の象徴とされる百人斬り競争で戦犯として処刑された少尉の遺族が、百人斬りは創作であり虚偽であることを理由に提起した裁判の代理人もつとめた。遺族らに対する人格権侵害は認められなかったが、判決理由の中で「百人斬りの記事の内容を信用することができず…甚だ疑わしい」とされた。ところが映画では百人斬りの新聞記事を紹介し、「靖国刀」をクローズアップし、日本軍人が日本刀で残虐行為をしたとのメッセージを伝えている。

僕も実際見てないから分からないんですが、
稲田さん曰く「いわゆる南京大虐殺にまつわるとされる真偽不明の写真」

は、十中八九信憑性に問題なんてない写真

だと思われます。
おそらく、東中野「学問研究の成果というに値しない」修道の愛国商売にひっかかって、まだ信じこんでるんじゃないですかね〜


ここでも稲田さんがふれておりますが、稲田さんは南京事件で頭がふれているとしか思えないような主張で裁判所に訴え、
三審とも負けております。


特に、二審は一回で結審、三審は上告棄却と、
事実上門前払い状態です。
事実関係をわかりやすくしたコピペがあったので張り付けます。
「中国で百人斬りしました すごいっしょ 記事にしといてね」   ∩( ・ω・)∩ ∩( ・ε・)∩ばんじゃーい

東京日日(現・毎日)の新聞記事になる

(大戦中)将校の自慢話 ( ´ω`) ( ´ε`) オレタチスゲェダロ
「百人斬りの歌」を作ってもらう。

(敗戦・軍事裁判) ( ゚ω゚ ; ) ( ゚ε゚ ; )ヤパーリ ヤッテナイナリ イヤ..セントーコウイナリ
判決「戦闘で斬れる訳ねーだろ。捕虜や農民を斬ったに違いない」

処刑 ( *ω* ) ( *ε* ) 遺書「書いた事に間違いはないのですが、曲解です・・・」

戦後しばらくして朝日に載る

ウヨが南京大虐殺否定論に利用しようとする。 そのせいでまた有名になり、遺族がキレる。
戦闘中に切れるわけがないと否定しようとしたら,捕虜虐殺証言が出るm9( `・∀・´)ヤブヘビ

稲田が便乗して訴訟へ

農民の据え物切りだったとの証言がでる。 m9( `・∀・´)ヤブヘビ アゲイン
百人斬りを自慢した手紙を故郷に送っていたことまでがわかる。

第一審棄却 一審判決の直前に稲田が代議士に当選

原告が控訴 控訴審で稲田弁護士(弁護士バッジではなく議員バッジをつけて登場w)が
地裁裁判官を中傷 → 審議打ち切り → 1日で敗訴

原告が上告

上告審駄目押しの棄却

稲田「百人斬り裁判から南京へ」発刊して裁判所が悪いと自己正当化←いまここ



…何の根拠もなく、稲田先生や東中野先生が正しいって思い込んで、稲田先生の言ってることを否定すると「反日」だの「売国奴」だの罵倒する人があとを立ちませんが、

稲田氏や東中野氏らは、日本の国家権力たる裁判所でも相手にされてないから。
それだけは認めて。
あんたらが稲田先生のいうことをどれだけ信用しようと、日本では稲田説は全く通用しないから。
つか、いい加減悟れや。


 私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。だからこそ人権擁護法案にも反対の論陣を張っている。表現や言論の自由が最大限尊重されなければならないのは民主政治の過程に奉仕するからであり、表現の自由の名のもとに政治家の言論を封殺しようとすることは背理である。

最後まで頭がおかしいですね。
別にお前に黙れなんて誰も言ってないだろうが。
(本当は言いたいけど)
政治家の言論を封殺だ?
封切前の映画を一人で勝手に見せることを要求してイチャモンつけることができなければアンタの言論は封殺されてしまうのか?



最後に、「靖国」の映画監督、李纓氏のコメントを引用しておきます。


 彼女(稲田議員)がこの映画への助成金を問題視しているのは非常に不思議なことです。それは一種の政治的な審査以外のなにものでもないでしょう。(中略)芸術文化振興基金として申請を受け付け、審議を行ない、助成金の支給を決定するプロセスはすべて終了しています。そのうえに彼女が重ねて審査を加える必要はありません。この作品に対する不快感は別の形で表現すればいいことです。(中略)彼女がやっていることは、日本の多様な表現を支えるシステム、芸術文化の振興事業に対する挑戦だと言えるでしょう。試写会で実際にこの作品を見終えても、彼女はまだ助成金について問題にしているようですが、そうであれば、もう彼女が芸術文化振興基金の審査員になって、すべての映画を「反日的」ではないか審査するしかないでしょうね。それがすなわち検閲ということなのですが。



どっちの言うことが筋が通ってるんでしょうかね?


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