民主主義とは、馬鹿を多く騙すかの競争である

※今日のコラムはこちら(一票はなぜ平等か)を見ているとわかりやすいというか、見てないとわからないかもしれません。読んでない方は先にこちらを読んでください。



僕は民主主義者である。つまり、民主主義を支持している。
どれくらい支持しているかというと、民主主義を否定するやつはタイホすればいいよって思うくらい。
うん。
マジな話。
日本もドイツ(もち旧西ドイツ)みたいに戦う民主主義を採用すべきだ。


とりあえず、
・民主主義を否定する言論をしたヤツ
・過激派
北朝鮮を賛美するヤツ
・昭和の軍事政権を肯定的にとらえるヤツ
南京大虐殺無かったとか言ってるヤツ

この辺はみんなひっ捕まえて収容所送りでいいよ。
そうすれば日本の民主主義は少しはまともになる。
(実際な話、ドイツの民主主義は日本よりかははるかにまともだろ?)

まーそれはいろいろと言論の自由とかうざったい枷があるわけで、
ちょっきゅーそくじっこーってわけにはいかんのだが、
とにかくそんくらい民主主義は大事だって事だ。



前置きはこれぐらいにして。
ここで言いたいのは、民主主義って制度は、問題の本質をわかっていない人間をいかにたくさん騙して自分の陣営にもっていくのかを勝負する制度だってことだ。
たとえばアメリカの大統領選挙。
選挙の度に大統領は民主党共和党か選ぶわけなんだけど、
大統領選挙に投票した人のうち、大半は「これこれこういう理由で民主党(または共和党)の候補の方がもう一方の候補より優れているよ」
なんて分かって投票しているわけじゃないよ。


だって分かるわけ無いじゃん。




もうちょっち極端な例を出そうか。
世の中には、「相対性理論は間違っていた」やら、それから「南京大虐殺は無かった
みたいな言説がある。
じゃあ、相対性理論は間違っているかどうか、民主主義でこれを決めようっていって、日本国民全員投票して相対性理論が間違っているかあっているか投票が多いほうが勝ちって選挙があったとする。
本当は投票が多いからといって自然が投票の結果の通りに動いたり、過去にあった事件がなくなったりはしないんだが、
それでもおそらく、民主主義の投票の結果は正しい結果を示す。
(たぶん9:1か8:2くらいで正しいほうが勝つ)
断言してもいいのだが、日本国民の大多数、99%は相対性理論が正しいかどうかとか、南京事件は事実かどうかなんて自分で判断できねーよ。


だって難しいじゃん。


だってそんなこと考えてるヒマ無いじゃん、フツー。

投票する人のほとんどすべては、誰かのいうことを鵜呑みにした結果、どっちかのいわば「信者」になって投票することになる。



たぶん、選挙戦になったら、「相対性理論間違ってた陣営」なり「南京大虐殺無かった陣営」はこんなような宣伝をするだろう。
相対性理論によれば、物体の速度は光速(秒速30万キロくらい)を超えることはできない。
しかし、秒速20万キロで進んでいるロケットから、ロケットに対して秒速20万キロで探査機が飛び出せばどうなるか?探査機の速度は秒速40万キロになる!光速を超えてしまったよ!だから相対性理論は間違いだ!」
南京大虐殺は犠牲者30万人と言われている!しかし、当時の南京の人口は20万人だった!20万人しか人がいない場所で30万人も殺せるわけがない!だから南京大虐殺は嘘だ!」



まあ、こんな感じだろう、一方、「相対性理論あってるよ陣営」なり「南京大虐殺あったよ陣営」はたぶん直接有権者に自分の理論の正しさを分かってもらおうとはしないだろう。多分。
なぜなら「大衆はそんなこと分かりっこない」と分かっているから。
(別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。実際の話、日本で相対性理論わかる人が過半数を超すことは無いってのは本当のことだろう)
たぶん、彼らの宣伝の主体はこんな風になるはずだ。
日本物理学会や、日本歴史学会で論文を書いた人の99%が相対性理論があってるって言ってるし、南京大虐殺あったって言ってる。彼らは東大等優秀な大学で勤勉に勉強し、その後少しでも今までの研究と違う結果を追い求めてきた。(研究ってのは、周りと同じことを言っていても全く相手にされない。「いかに他人と違うことをいうか」が研究者としての評価になる)言ってみれば 彼らは『常識を常に疑ってきた』者たちばかりだ。そのような頭のいい人たちが、否定派の宣伝しているような簡単なことに気づかないなんてことがありうるか?今まできわめて多数の天才の『疑い』に耐えてきたからこそ、相対性理論なり南京大虐殺は真実と思われているのだ」


まあ、こんなに嫌みったらしくは言わないだろうけど、まあこんなような意味のことを言うだろう。
だってフツーの人はこれで納得するもん。


んでもフツーじゃない「南京大虐殺無かったよ陣営」とか、「相対性理論うそだよ陣営」は、
上のような主張に対して、「それは権威主義というものだ。世の中のインテリどもは全員ユダヤ(か共産主義者か在日かは知らんけどまあそういう系)に洗脳されている。われわれのみが洗脳から解き放たれたのだ!」のような趣旨でもうちょっと上品に反論するんだよな。
まあ本当はお前らが馬鹿なだけなんだけどな。馬鹿ゆえに世の中の大多数と意見が合わなくなるってだけなのに、それに気づかずに世の中の大多数が馬鹿だと自己解決するからカルトになるんだ。


んで両陣営は上でいったような主張をお互いするんだが、
多分、選挙戦となれば、有権者は身近な人に「お前どう思う?」とか、信用している先生とかに聞いて判断すると思うのね。
京都大学理学部物理学科とか、東京大学文学部歴史文化学科の連中(よーするに、自分の力で判断できるような学力をもった連中)は99%、「肯定派」に属する。(自分の力で判断すれば当然そうなる)
そういうやつらが身近にいて、そういうやつのことを信用できるほど親しい関係のやつはその話をきいて「肯定派」に属するようになる。
身近にいなくても、どっかしらのコミュニティに属していて、それなりに信頼できる人がいれば、
トーダイのいうことを信じることができるワセダなりケーオーなり地方国立大のいうことを信用できるどっかの大人のことを信用できれば、
「肯定派」は信用に値する集団だと信じることができるだろう。
日本には「世間」という言葉がある。
いろいろなところに張り巡らされたコミュニティの網、世間というものが日本に存在する限り、正しい意見を言う集団は信用され、その結果権威をもち、その権威の言うことは正しいと思われる。


ぶっちゃけた話、「日本人は全員在日に洗脳されているうぅぅぅ!!」とかほざいてるやつらも、それなりのコミュニティは持ってるだろう。
それなりに信用してるやつもいるだろうし、それなりに支持を得るだろう。
しかし、排他性を強く持ったカルト的な考え方は、その排他性故に、広く支持されることはないよ。
スポーツや恋愛に関してならともかく、学問的領域に関して言えば、東大出た専門家とその辺の高卒が違うことを言えば、大半の人は東大出た専門家を信用する。
日本に世間というものがある限り、世間様に顔向けできる行動をとっている限り、正しいことを言えば絶対に支持してくれる人はいるし、その支持は広がっていくよ。



政治の世界では、しばしば意見の対立が起きる。意見Aを信じてるやつは意見Bを信じてるやつを「Aの正しさが分からないなんて、なんて馬鹿なんだ」と思っているし、意見Bを信じているやつは「Bの正しさが分からないなんて、なんて馬鹿なんだ」と思っている。お互いにお互いを馬鹿だと思っていれば、議論は絶対に決着しない。
民主主義で決着をつければ、AとBのうち少なくとも馬鹿が馬鹿ゆえに大衆が馬鹿だという空想のもとに気づきあげた馬鹿理論は排除できる。
それが民主主義の効用だし、僕はそれ以上は民主主義に何も求めないし、何も政治に求めない。
政治というものの特性として、それ以外の方法では確実に独りよがりの馬鹿が馬鹿をはじめる以外に絶対にありえないから。


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