権力とは何か

事実上、「続・プロ市民へなら何をやってもよいか」の続編です。

はい。


現在、内閣総理大臣安倍晋三氏です。
総理大臣の出せる命令は法律によって定められていて、その命令にはみんな従わなくてはなりません。
んで、従わない人がいたらどうなるか。
もっと言えば、彼を総理大臣だと認めない人がいればどうなるか。
例えば、(あくまで例えばです。)某朝鮮労働党日本支部福島瑞穂氏が、


「戦争が好きな安倍さんが内閣総理大臣なのは憲法違反。憲法の心をもった私が総理大臣をするべき」


と言って、勝手に総理大臣を名乗ったらどうなるでしょうか?
で、実際に命令を飛ばしだしたら?「全てのテロリストにテロをする権利を。」とか言い出したら?
はい。警備員につまみ出されますね。
じゃあ、もし、警備員を買収していたら?
警備員がもし社民党と同じことを言って「安倍氏は偽者の総理大臣だ!」とか言い出して安倍氏をつまみ出したら?


たぶん警察がやってくるでしょう。
警察がこの反乱勢力を鎮圧にかかります。
警察は警備員より強いので、警察によって取り押さえられます。それで「福島総理大臣」はなかったことになります。
元通りで、めでたし、めでたし。
じゃあ、警察まで手を回していたら?
警察まで「福島さんが総理大臣である!」とか言い出したら?


今度は軍隊がやってくるでしょうね。
軍隊は、警察よりも警備員よりも強いです。
いくら警察官が射撃のプロで柔道五段でも、戦車から大砲撃たれたら太刀打ちできません。
警官も警備員もおとなしく投降するか、歯向かって玉砕するかの二者一択を余儀なくされます。
じゃあ、軍隊まで「社民党が正しい!」とか言い出したらどうなるでしょう?


はい。この時、既に総理大臣は安倍さんではなくなります。
衆議院議長やらどっかの事務次官やら裁判官やら県知事が文句をいくら言おうと、軍隊に逆らっては何もできません。
「いや、そんなアホな話あるかよ?」
と言っても、ガタガタ言うと軍隊に射殺されるので、何もいえなくなります。


何がいいたいかというと、権力とは、要するに「軍隊を動かせる力」に他ならないわけです。
「ナントカ法第何条より〜」とか御託を並べたところで軍隊が「うるせえ、黙れ」って言ったら何もならないわけです。
どっかの市役所の課長は係長より権力を持っています。
それがどういうことかというと、突き詰めれば係長と課長が意見が対立した時、最終的に軍隊は課長の言うことを聞く、という担保があるから、課長は係長より権力があるわけです。
法の支配だの三権分立だの民主主義だの言っても、最終的にものを言うのは軍事力です。
それは間違いない。
だから、近代社会は民主主義や三権分立に合致するような軍隊のあり方、権力のシステムを試行錯誤しながら作ってきたわけで。



本当は権力者を権力者たらしめているのは「軍隊」のほかに「天皇」もあるんですがそれはこの際関係ないので。
とにかく、総理大臣は「軍隊」と「天皇」さえ掌握しておけば、その総理大臣たる権力は認められます。
(普段、そこまで意識することはまずありえないことですが)


んで。
大事なのは、
絶対に「天皇」と「軍隊」は自らの意思を持ってはいけない
ということです。これは、絶対にです。絶対にいけません。
軍隊は、その気になったら気に食わない総理大臣は殺して自分達の思うとおりの政治を操ることが可能(実際戦前はそんな感じだったし)になるゆえ、
軍隊が政治の世界に首を突っ込むこと、軍隊が自分の意見を持つことは厳しく禁止されています。
(禁止されている、って言ってもその気になれば軍隊が(以下略)なのだが、とにかく禁止されている。(以下略)が起こらないように綿密な階級制度、システムになっている)



ゆえに。
自衛隊は内閣や防衛庁(省)の命令である法律や政令以外のことをしてはいけない。
自衛隊の存在が憲法違反なのは「うん、確かに違憲だね」ですむが、
自衛隊が自らの意思を持つと、最終的には権力の担保ができなくなる。(おおげさな話じゃなくて)
自衛隊世論調査を行ってはいけない。
世論調査」というのは政治にフィードバックをかけるために行うもの。自衛隊が政治の世界に入っていいわけが無い。



じょん=すみす様。

 公の場で公然と行う活動である限り、その事実が誰かに知られることが何らかの権利の侵害とは自分は思わないのです。
 それが自衛隊であろうが警察であろうがそれは同じ事と思います。
 自衛隊の活動としてそれが不当かどうかという点については法律論はおいておくとして、そういう要求があるということは理解でき、なおかつ見られる側の感覚としてそれが侵害であるとは言いにくい。

そおいう問題ではないのです。
そういう「要求があることは理解でき」るのなら、自衛隊が隠れてやるのではなく、きちんと(自衛隊ではない)政治の世界にいる人が「〜〜しなさい」という法律を作ってそおいう要求に答えるような機関を作ってそこの仕事をやらせなくてはいけないのです。(っていうか、そういう機関は既にあるのですが)


じょん≒すみす様。(何か違いがあるのかな?)

>でも、自衛隊が割りに合う職業になったときっていうのは、要するに戦争でドンパチやっている時なので、個人的にはそうなって欲しくないです。

ここはたぶん違うと思います。
日本にとっては戦争になってどんぱちが始まってしまうと無駄に経済的、社会的、人的コストがかかってしまうだけで何ら割に合う状態にはならないと思います。
全く想像するだけのことでしかありませんが、自衛隊にとって割に合うという状態は彼らの存在が周囲にとって軍事的な存在感を示すことができ、それが抑止力となって戦争が起きない状態ではないでしょうか。
 なおかつそれの活動が広く市民に理解されて評価されれば嬉しいなあ、とか。

どおでもいいことなのでしょうが、「割りに合わない」っていうのは辛い仕事、しかも国民の安全を守る大切な立場なのに感謝されなくて、
逆に「人殺しの練習をして税金もらってる奴ら」とか蔑まれる、という点で「割りに合わない」ということなんだと僕は解釈して、それを前提に述べました。
彼らの存在が周囲にとって軍事的な存在感を示すことができ、それが抑止力となって戦争が起きない状態
といいますが、そんなのわかりっこないですよ。
どっかの国が「自衛隊にビビッて戦争を起こさない」のか「政治的意図から戦争を起こさない」のかなんて区別つくわけないし。
平和な状態が続く限り、自衛隊が感謝される状態なんてありえないと思います。
国民が自衛隊に感謝する状態は、実際に自分達を殺そうとしている敵兵から自分達を守ってくれる、つまり戦争してる状態になるまで、おこりえないと思うわけです。
まあ、僕は感謝していますが。でも、やっぱ国民が自衛隊に感謝しているって言う状態からは今は程遠いといえるのではないかと。


ちわ。様へ

「公開されている情報を集めただけ」に「反戦デモにわざわざ出かけていって状況を観察して写真を撮って帰ってくること」も含まれそうだとは思いませんか?

誤解を招く表現だった可能が高いのでもう一度説明します。
「公開されている情報(機関紙とか)を集めただけ」なら、たいした手間がかかりませんし、さく人員もそんなにいりません。週に数時間スクラップするだけでまとまるでしょう。
そういう状態なら、「この資料は情報漏洩防止に役立てるための資料」といい訳することがぎりぎり可能だったと思います。
(作った資料が情報漏洩防止に役立つ可能性)/(資料を作る手間) はきわめて低いですが、まだ言い訳が聞きます。


しかし、「わざわざデモに出かけて写真を撮って帰ってくる」ためにはデモに出かけていく人員、交通費、その他もろもろあるので、明らかに
(作った資料が情報漏洩防止に役立つ可能性)/(資料を作る手間) は極限までゼロに近く、
「この資料は情報漏洩防止のために作った資料だ」といい訳することは不可能なのです。


その意味で、「わざわざデモに出かけて写真を撮って帰ってくる」ことが問題といっただけで、それは「デモに出かけて写真を撮ること」の行為そのものが問題、といっているわけではありません。



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