神が人を創らなくても人は神を作る

はたしてこの世界は神が作ったのか?


このテーマはずっと前から永遠に不毛な論争を引き起こし続けてきた。
科学的に考えれば、例えば「神が七日間で宇宙と人を作って最後の一日は休んだ」
とかは嘘に決まっているのだが、それでも、人の、万物の限界を超えた大きな力というものを否定することは誰にも出来ない。
ニュートン運動方程式は物には万有引力があるということや物体の運動の仕方は教えてくれるが、肝心の「物にはなぜ重力が働くのか?」という問題には全く答えてくれない。
やはり、神はいるのか?
答えは決して出ない。不毛に不毛を重ねる論議があるだけである。
が、一つだけ、心に残った言葉がある。


神が人を作らなくても、人は神を作る。


確かにそうだ。
例えこの世界が偶然の結果でも、我々は単なる偶然タンパク質が変化したものであったとしても、人は必ず「神話」という物語を創作する。
何故かといえば、それはおもしろいからだ。
話を創作した本人が本当に信じているか、本人は創作の自覚があるのかは知らないが、とにかく自然現象でも生物現象でも人災でも、人智の及ばないことは「神」に全てが帰せられる。
この世界はしずくがかき回されたてできたり、巨大な象の鼻の上に乗っていたり、無限の海に浮かんでいたりするわけだが、
そういったお話は少なくても何も知らない原住民には確実におもしろいし、崇高な気分にさせる何かを持っている。
だから人は神を作る。


この話は「そして今現在この世界が神が創ったと考えなければいけない積極的証拠は無い。だから神はいないと考えて差し支えない。…」と続いていくわけだが、この話、すっごく応用の利く含蓄を含んでいると思う。
例えば、


政治家が何も悪いことをしなくても、人は政治家を悪く言う


これも同じ力学が働いていると思う。(リアルに考えれば、誰も不満に思わないような政治なんてあるはずが無いのだが、それは今は関係ないのでおいておく)
一般に、政府批判系の文書と政府支持系の文書があったときは、政府支持系のほうがレベルが高い。
なぜなら、政府批判系はおもしろいに決まっているからだ。
「政府は〜で、〜だからいかん。こんな酷い政府は打倒すべき」っていう文章と、
「政府は〜なんです。素晴らしいですね〜。みんなで応援しましょう」っていう文章があったとき、明らかにぱっと見前者の方がおもしろい。
これが理解できない人は精神科にいくことをお勧めする。
たとえ「〜」の部分がデタラメな理屈でも、単なるイチャモンに過ぎなくても、ある程度のファンは得られる。
なぜなら、おもしろいから。誰だって、「今の政府は素人で判断できるレベルのミスはしていない」という状況より、
「今の政府は酷い。悪政極まっていて我々は被害者だ」という状況の方がおもしろい。
例えどんなイチャモンでも、政府のやることが理解できないような貧弱な頭の人が勝手に「理解できないけど、要するに政府は酷いんだな。そして政府を批判する自分は偉いんだな」とイカレたプライドを満足するために応援してくれる。
だから、例え政府が完璧でも(くどいようだけど、完璧なんて本当はありえないんだが)、絶対に政府の悪口を言う奴は出てくる。これは絶対になくならない。
(懸命な読者ならお分かりだと思いますが、「政府を批判するな」とか「今の政府は完璧である」とか言っているわけではありません。念のため。)
反対に、「今の政府は〜の点がよい」とか褒めるには、ある程度の知性が要求される。
何か斬新な切り口が無い限り、退屈でしょうがないからだ。
(これも念のために言っておきますが、聡明な知性に裏づけられた政府を批判する文書や箸にも棒にもかからない政府応援文書も数多くあります。言うまでも無いことですが)



例え「差別」なんてものは無くても、「差別」はあることにされる


ってのもそうだろう。僕は部落地域とかが周りに無いところで育ったので、「部落差別」というのが本当にあるのか知らない。
インターネットとか本とかで調べることはできるが、そういったものは確実に著者なり誰かの主観が入るので、正確に知る事はできない。最悪プロパガンダかも知れないし。
ただこれだけは言える。
たとえ「差別」なんてものが全くなくても、差別はある、ということにされる。
なぜなら、「日本には差別なんてない」という状況より、
「日本には何かにつれて差別をする人がいて、差別されている人は苦悩にあえいでいる」という状況の方がおもしろいからだ。
不謹慎だが、「おもしろい」と思う(もちろん、本人には無自覚)ような下劣な人間がこの世にいることは確かだ。
だから、何も差別はなくても、「在日は有形無形の差別にさらされ無理解に苦しんでいる」ということになる。
(この辺利権が絡んでいるから、もっと増幅されているんだが。差別があったことにする方が儲かる人間がいるから、差別は永遠にあることにされる。)
これも同様に、「差別なんてあるわけないだろ」と言いたいわけではありません。ただ、「差別なんて当に薄れて無くなっていても、差別があるという報道は永久に生きき続ける」という事実を述べているだけです。


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