作法とは何か

これ、茶道とか華道とかやっている人には当たり前すぎることかもしれないし、噴飯物かもしれませんが、まあご容赦ください。


作法…これに否定的な印象を持つ人は多いんじゃないかと思う。
一日体験お茶の会とかに行って、いかにもプライド高そうな人から、細々としたことを延々と解説されて、
当然覚えきれるはずもなく、
一つ一つ段階的によっこらしょ、どっこらしょ、とやっていき、何か窮屈この上ない動き方をわざわざしているのに
先生が「そこはそうじゃないのです。こうなのです」
とかしかられて、どこが違うのかわかんなくても動きにくい方法を無理矢理やんなきゃならない。
ぶっつづけると
ああ〜〜〜
ってぶちぎれたくなる。
そんなイメージを持っている人はいませんか?



そんな人でも、何かスポーツやったことある人は多いと思う。
で、運動部に入ってやらされることは、うんざりするほどの「基礎練習」だ。
例えば素振りなんかを延々とやらされる。
はしっこでドリブルをダムダム延々とやらされる。
素振りって、何の意味があるんだ?
始めは必ずそう思う。
しかし、そういう基礎練習を数ヶ月続けているうちに自然と気づく。
以前より、ずっと球が正確に、強く打てていることに。
素人が球技をやると、誰でも手だけでやろうとする。
小手先でコントロールした方がやりやすいし、とっつきやすい。
でもそれではダメなのだ。実際にバットなりラケットなりを持っているのは手でも、スポーツでは手よりも腰とか膝とかを動かして打たなければいけないのだ。
手先を動かすのは直感的で分かりやすいため、誰でも始めは手先でやろうとする。
一方体を使うのは重く、素人では腰の動きとラケットの動きがどう連動するのはイメージできないため、空振りするはめになる。
しかし、手先では軽い。(60kgの人でも手先だけだとせいぜい数kgしかない)軽いと運動量(質量×速度)がたりない。球に伝えられるパワー(力×速さ)がたりない。結局、球の重さに負けてしまったり、スピードのある球が打てなかったりする。
だから、全身で打つ必要がある。触れているのはバットとボールでも力の伝達は重い胴体の腰やへその部分にインパクトでする必要がある。
しかし、そういううち方は難しい。
「腕をたたんで、腰を回して、40度くらい回ったところで膝をひねって…」
ということばかり考えているうちにボールがさっとスルーしてしまう。
だから、素振りの必要があるのだ。
「全身を使って打てる」ようなフォームを何べんも振ることによって、何も考えなくても自然に「全身を使って打てる」フォームが簡単に出るようにするのだ。
人間は自然にしていたら全身を使って打てるフォームにはならない。ムリヤリ全身を「使えるフォーム」を体に覚えこませる必要がある。
「全身を使うフォーム」は、始めはすごくやりにくい。窮屈だ。何か変な感じがする。
しかし、やりなれてくると、これが「めちゃくちゃやりやすい〜」って事に気づく。
力学的に自然な動き方、理想的に力が伝わる動き方だということに気づく。
それを実感した段階で、人は「初心者」を卒業する。


もう何がいいたいのかお分かりだろう。
つまり、「作法」とは、力の入れ方、物の運び方を力学的、生理学的に理想な方法をまとめたものなのだ。
作法は始めは窮屈だが、じきに作法のしめしているやり方がいかにやりやすいか、いかに合理的かを感じる時がくるのだろう。
「作法は形じゃなくて心じゃ。好きなように飲め」
とか言ってお茶を勧める「達人」がドラマなんかによく出てくるけど、
それってつまり「腕しか動かさないでフリースローを打つ」みたいなもんであんまり意味ないのかも、とちょっと思った。


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